そこで問題となるのは,ボランティアとしての学会活動と研究活動の両立で ある.学会活動といえども,研究時間を奪うものであることは確かである.そ こから研究のための有形,無形の資産が得られるが,少しの時間も惜しい研究 者にとっては,大きな負担であろう.「研究者の貴重な時間を奪うような学会 活動はすべきではない」,「研究業績ではなく学会活動で名を売るのは研究者 として恥ずべきことだ」という意見はよく理解できるし,「ボランティアが得 られず,学会活動ができないならそれでもよい,IEEE がある」というのも一 理ある.このボーダレス時代,本学会存続の意義が厳しく問われているのであ る.
しかし,ボーダレス時代だからこそ,地方自治がますます重要となるように, 本学会の担うべき役割もむしろ大きくなっていくだろう.これまで,筆者は国 内外の多くの学会活動にかかわってきた.その中で,学んだことは,学会活動 を継続発展させることは苦しいけれども,それを放棄すると,必ず後悔すると いうことであった.学会のボランティア活動を通して得られるものは決して小 さくない.
これからの学会は,会員だれもが積極的にその活動に参加でき,参加するよ うな,そういう学会でなければならないだろう.そのためには,学会から与え られるサービスが不十分だと不平をいうのではなく,だれもが自分から積極的 にサービスを受けに行き,またサービスをするという,文化を作っていく必要 がある.研究者のボランティア活動で支えられている学会であるのだから,た とえサービスが不十分でも,他の研究者を非難すべきではない.それは,貴重 な研究時間を割いて学会のために活動しているボランティアの意欲をそぐ最も 忌むべき行為である.サービスが不満足なら自分で改善していけばよい.その ような文化の中からこそ,学会の新たな発展が生まれるだろう.ケネディ流に いえば,学会があなたに何をしてくれるかを問うのではなく,あなたが学会に 何ができるかを問うことが,今,求められているのである.