The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers


ゆとりの功罪

エレクトロニクスソサイエティ会長 小柴正則

 2000年という,一つの時代の節目を迎え,我が国の科学技術の衰退が憂慮さ れ,その発展を支えてきた教育制度へも厳しい眼が向けられている.教育制度 の中の弊害が次代を担う人材を損ねているとしたら本末転倒であるが,今の教 育制度が日本の将来に大きな不安を与えている「理工系離れ」の一因になって いることは間違いなかろう.資源に乏しく,科学技術立国としてしか生きるす べのない我が国にとって,理工系離れは「科学技術離れ」をも引き起しかねず, その早期対策が望まれる.

 世の中,21世紀を目前にしてますます加速度的に便利になり,おかげで大人 も子供も余計忙しくなって,学校でもじっくりものを考えるゆとりがなく,理 屈を云々することが社会のテンポになじまないといった風潮すらある.こうし た状況を案じてか,「ゆとりある教育」の必要性が盛んに論じられ,実践もさ れている.ゆとりのない知識偏重の「つめ込み教育」が理科離れ,ひいては理 工系離れを助長し,更には研究者や技術者に必要な創造力や実体験までも奪っ ているとしたら事は重大である.ゆとりある教育によって,じっくりものを考 える余裕ができ,創造性豊かな人材が養成されるならば,これはゆとりの「功」 として評価されよう.

 思えば,「ホモサピエンスとして知恵を獲得した人類は,まさしくゆとりを 求めてこの地球上に科学技術の花を咲かせたのではあるまいか.20世紀初頭に は,人間を肉体的苦痛から解放する科学技術の芽はほぼ出そろい,そのおかげ でゆとりが生じ,生じたゆとりは人間の知力を育てる糧となり,今世紀,科学 技術は空前の発展を遂げた.今や,人間にはただその知的活動のみが要求され るようになって,社会は工業化社会から情報化社会へと変貌しつつある.コン ピュータは人間に唯一残された知的活動を肩代わりできるところまで進化し, Y2K問題のようなことはあったけれど,コンピュータが人間の思考活動に多く の利便性をもたらしていることは事実である.ただ,コンピュータが余りに上 手に知的活動を代行してくれるので,果たしてこれが創造性の涵養に役立って いるのか疑問に思うことがある.

知的活動の一つに,暗記という,ある意味で苦痛な作業があり,こうした退 屈な作業は,とかく創造性とは相容れないものと受け取られている.まさに, こういった記憶機能をコンピュータに移植することによって,人間は暗記とい う精神的苦痛からも解放され,これまで以上にゆとりを享受できるようになり つつある.ところが,肝心の知的活動をコンピュータが代行してくれていると なると,せっかくのゆとりを使うすべがない.ゆとりができたために人間の頭 脳活動は停止し,基本に忠実にものを考える力,ひいては創造性までもが失わ れるのではないかと懸念される.こうなると,ゆとりは「功」どころか,「罪」 でしかない.質の変換を考えずに量だけ減らすのでは,ゆとりある教育の効果 は期待できないのではないか.過剰な量を課す教育はもちろん問題であるが, その量をこなすために,教える側も教えられる側もそれぞれ自ら工夫するので はないか.そこから創造力が育まれることもあるのではないか.基本に忠実に ものを考えるには,相当量の暗記も必要といわれるゆえんである.

最近,大学が基本的な数学や理科知識さえ持たない社会人を生み出している のではないかとの批判を聞くにつけ,ゆとりについて考えさせられるのである. ゆとりがない方が,かえってゆとりを上手に使えるのではないかと思ったりも する.まさに,「忙中閑有り」である.


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