The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers


仕事は忙しい人に頼めと言うけれど

副会長 池田克夫

 仕事は忙しい人に頼むのがよいという.人に仕事を頼むとき,本当に申し訳ないとは思いながら,結果的にはやはり忙しい人に頼んでしまっている.そして,忙しくない人に頼むより,大抵の場合結果がよいのである.酷ないい方であるが,これが正解なのである.

 忙しい人に頼むのは,仕事の信頼性が高いからとか,仕事が速いからとか,仕事の内容がニュースバリューがあり,その人がそれに中心的にかかわっていて欲しい情報を持っているからとか,忙しい人ほど情報が集まっていて具合がよいからとか,発想が優れているからとか,気が利いているからとか,それなりの理由があるのである.逆に忙しくない人には,それなりの理由で頼めないのである.

 人がどう思っているかは別で,勝手に一人でバタバタしているだけかもしらないが,自分ではやはり忙しい方なのだろうと思っている.しかし,本当はもっと時間をゆったり取って,のんびりと気の済むまでやりたいのである.やりたいことがたくさんあるのに,どれもこれも中途半端,気持ちのゆとりもなく,実は内心イライラしている.電話の応対などもぶっきらぼうで愛想もなく,事務的な受け答えが精一杯という有様である.被害を受けられた方も多いと思うが,お許しを乞う次第である.

 なぜこんなことになるのだろうか.上手に断る方法を弁えていないからなのか,妙な義侠心のゆえに断り切れなかったりしているからなのか,あるいは仕事の見極め方がうまくないからなのか,よく分からない.確かに仕事はそんなに遅くはないのであろうが,じっくりとやっている暇はないから,拙速で雑にならざるを得ず,後で反省することが多い.

 忙しい人でも,というよりは忙しい人ほど,忙しさを表に見せず趣味も豊かな人が多いのは実にうらやましい限りである.どうやって時間を作るのであろうか.修養の足りない凡才には望むべくもないが,その範ちゅうに入れないのは悲しい性なのだろう.

 一日はだれにとっても24時間であるから,忙しければ,何かを犠牲にすることになるはずである.人によっては睡眠時間が5時間でよいという人も多いようであるが,自分にはそんなことはできない.いうのも恥ずかしいほど長い時間寝なければならないのである.

 「忙中閑あり」というとおり,確かに,忙しくてどうしようもないときに,ひょっと暇ができたりして,それが実に充実していることを経験することはある.しかし,本当は,もっとゆったりと閑を貪りたいのである.

 時折り近郊の山を歩いているが,全く無心に歩くことを楽しめているか極めて怪しい.先日,うっかり足を取られて,脛を擦りむいてしまい,大変痛い目をした.山道を上の空で歩くのは大変危険なのである.考え事などしておられないのは,大変危険な所を通っているときや,スキーで自分の技量を超えたスロープを下ったりスピードが出過ぎたとき,速度違反して高速運転しているときぐらいだろうか.

 今年3月末に36年間勤めた国立大学を停年退官して私学に移った.停年前の3年間は,特に忙しかったから,今度は少しは時間ができるだろうと期待していたが,案外忙しいのである.ただし,忙しさの内容が異なり,それが喜ぶべきことかどうかについては,まだ評価ができていない.

 気力と体力が十分あるうちに,「閑中忙あり」といったものを「忙中閑あり」とゆっくり比較してみたいものだと思っている.


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