The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers


より安全なシステムの構築を目指して

編集理事 岡本龍明

 最近我が国では,住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)の導入をめぐり,プライバシー保護やセキュリティ対策に関して多くの議論がなされている.当然のことであるが,住基ネットの導入にあたっては,技術面のみならず運用面や法制度面も含めて十分なプライバシー保護やセキュリティ対策を施した上で実施されるべきであることはいうまでもない.

 しかし,ここで忘れてならないのは,完璧に安全なシステムなどというものは存在しないということである.もし,新しく導入するシステムの安全性が完璧でなければならないとすると,この世の中で導入できるシステムなど一つもないであろう.例えば,車による交通システムを考えると,現在膨大な数の車による事故が発生し,また貴重な命が日本国内だけでも年間1万人近くも奪われている.そもそも,現在の車は,余りに運転手である人間に能力以上のことを要求し過ぎているように思う.車を運転するほとんどの人は,一度や二度は少し間違えると大きな事故を起していたかもしれない経験を持つのではないだろうか.つまり,人間は本来注意散漫であり瞬間的な判断ミスをしばしば起すにもかかわらず,長時間注意深く判断ミスを犯さない人間に対してしか安全が保証されないのが車である.しかし,我々の社会は,車の持つ高い利便性や経済効果を重視して,このように不完全な安全性しか持たない車をずっと利用してきたのである.

 随分前に,「タッカー」という映画を見たことがある.これは,第二次世界大戦直後のアメリカで,GMなどの3大自動車メーカ(ビッグスリー)に対抗して,「人々の命を大切にする安全設計」をスローガンとした車作りを行ったタッカーという企業家の実話に基づく映画である.このころのビッグスリーの作る車には「意図的に」シートベルトが装備されていなかった.これは,シートベルトを装備することで,車が危険な乗り物であるというイメージが消費者にまん延し車の売上げが減少することを恐れてのことであった.そのような中,自動車史上初めてシートベルトを装備した車を作ったのがタッカーであった.今では当たり前になっている数々の先進的な安全設計思想を取り入れたにもかかわらず,ビッグスリーの圧力により,タッカーの事業は挫折するのである.

 しかし,タッカーの試みは我々に多くの教訓を残してくれている気がする.当時ビッグスリーは車が危険な乗り物であるということを隠そうとしたが,タッカーは,車が危険な乗り物である事実を正面から見据えた上で,「人々の命を大切にする」という設計思想で車作りを行った.住基ネットなどにおいても,プライバシー漏えいがあり得ることをタブー視するのではなく,完璧なセキュリティは不可能だという事実を見据えて,その中でできるだけ「人々のプライバシーを保護する」ための対策をいかに行うかという発想が大切だと思う.セキュリティが完璧に保証されなければならないという幻想にとらわれることが,車の危険性を隠そうとしたり食品の安全性並びに原子力発電所の事故隠しなどに見られる一連の不祥事と同様に,プライバシー漏えいなどの事実を隠ぺいしようとする土壌となる.

 完璧なシステムなど存在しないからこそ,そこに向けて永遠の努力をするのが我々の責務である.いかなるシステムも必ず欠陥を持つという事実を認め,どのようなささいなプライバシー漏えいが発生した場合でも直ちにその情報を公開するなどの制度・習慣を作ることが,少しでも高いレベルで「人々のプライバシーを保護する」システムを構築していくための第一歩だと考える.


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