The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers


アインシュタインの心

情報・システムソサイエティ会長 小川英光

 アルバート・アインシュタインが特殊相対性理論を作ったとき,その理論に矛盾する現象は,当時何も見つかっていなかった.したがって,一般の研究者から見れば,この理論を更に発展させようという気持ちは沸いてこない.しかし,アインシュタインは違った.彼は特殊相対性理論を作ると直ちに,一般相対性理論の研究に着手したのである.そして,10年の年月をかけてその理論を作り上げた.

 何故であろうか.それは,アインシュタイン自身にとって,時間とは何か,空間とは何か,重力とは何かということが,まだ十分には分かっていなかったからである.当時知られていた未解決の現象を定量的に説明するということは,決してアインシュタインの研究の直接の目的ではなかったのである.彼にとって大切なことは,時間,空間,重力といった物理学における最も基本的な概念の本質を,自分の納得のいく形で知りたかったのである.そのためには,特殊相対性理論ではまだまだ不十分だったのである.

 ところで,大学を取り巻く世の中の動きがにぎやかになっている.いわく,社会の要求に答える研究・教育を行うべきである.いわく,競争原理を導入して,研究の効率を上げるべきである.

 これらの意見は,一見もっともに思える.しかし,果たして真実はどうであろうか.アインシュタインの場合,社会の要求,学界の要求など何もなかった.もっと工学よりの例では,現在,光通信,CD(コンパクトディスク),医学,分光学,核融合と,多くの分野で活躍しているレーザの原理を発見したチャールズ・タウンズとアーサー・ショーローは,当初レーザに応用があるなんて考えてもいなかった.

 このような例は枚挙にいとまがない.すぐに役立つということは,すぐに役立たなくなるということである.当初思いもよらないものほど,社会に与える影響は大きい.

 では,競争原理はどうであろうか.1日でも気を抜くと先を越されてしまうということは,それは自分がやらなくても,だれかがやってくれるということである.他人にできることを,その人よりも少しだけ早くやったということに,どれだけ大きな意味があるのであろうか.わずかに先を越すために激烈な競争をするということに,どれだけの意味があるのであろうか.そのような研究は,アインシュタインの一般相対性理論に比べれば,まだまだ小さな研究である.

 もちろん,企業が利益を上げ,生き延びていくためには,現在世の中で必要とされているものを,他社よりも早く売り出すことが大切である.そして,そのようなことができる技術者を養成することも大切である.

 しかし一方では,現在の世の中が必要としていなくても,将来,人類に大きく貢献できる研究を行うこと,及び,そのような研究ができる人材を養成することも重要なことなのである.そのような研究テーマは,世の中の要求からは出てこない.また,競争原理から出てくるものでもない.真実を知りたいという心の底から自然に沸き上がってくる情熱によってのみ,それは達成されるのである.本学会も,そのような研究の芽,技術の芽を発見し,育てることを忘れないようにしなければいけない.


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