The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers


単一電子メモリ

電子情報通信学会誌Vol.82 No.3 pp.290-292

矢野和男

矢野和男:正員 (株)日立製作所中央研究所 
E-mail kyano@crl.hitachi.co.jp
Single-Electron Memories.By Kazuo YANO, Member (Central Research Laboratory, Hitachi Ltd., Tokyo, 185-8601 Japan).

1. はじめに

エレクトロニクス産業を支えているのは,集積回路技術の進歩である.その中でも,半導体メモリはディジタル時代の「紙」である.今後の情報のディジタル化には大容量で低コストのメモリ集積回路の発展が欠かせない.
電子回路でメモリを構成する原理は,簡単である.キャパシタとスイッチを直列に接続しこの間のノード(これを記憶ノードと呼ぶ)に充電された状態を「0」,放電された状態を「1」として情報の記憶を行うものである.このキャパシタの充放電の実体は電子の移動である.典型的な半導体メモリでは,10 万個程度の電子の移動で1bit の記憶を行っている.
単一電子メモリは,この電子の移動を極端に少なくするものである.極限的には電子1個の移動により情報の記憶を行う.
しかし,1 個の電子を記憶ノードに入れたり出したりするということには,抵抗感を感じる人が多いであろう.これは,電子は世界で,最も小さく軽いものの一つであるからであろう.我々も実際に実験で電子1個1個の動きを見るまでは,半信半疑であった.ところが,実際に電子を1個1個扱うことは可能である.
しかし,なぜ今,単一電子メモリが注目されるかというと,上記従来の古典的なメモリ回路の大規模化が今後困難になるのではないか,という心配が出てきているからである.例えば,代表的な半導体メモリであるダイナミック RAM では,上記の 10 万個程度の電子を蓄えるために,数十フェムトファラッドのキャパシタをビットごとに形成する必要がある.大規模化に伴い1bit に使える面積は急速に小さくなっている.この小さい面積に以前と同じキャパシタを形成するために,かなり無理した立体的な構造を用いざるを得ない.これが,「いつまで続けられるか」についてはだれも確信を持って「できる」とはいえなくなっている.単一電子メモリは記憶に用いる電子の数が少ないので,この問題が回避できる可能性がある.
単一電子メモリの原理は驚くほど簡単である.クーロンブロッケードという現象を用いることにより電子の数を制御するものである.図1に示すように、ソース(電子溜め)とドット(記憶ノード)とゲート(制御電極)からなる系を考える.ここで,ソース,ドット,ゲートはいずれも電極であり,金属でも半導体でもよい.ただ,電子が勝手に逃げていかないためには,これらの電極の間は絶縁性の物質で構成されていることが必要である.また,ドットはソースの近傍に形成されており,ドットとソースとの間でトンネル効果による電子の移動が可能であるようにする.
ここで,ゲートに正の電圧を印加すると,ソースの表面には電子が集まってくる.ここで,条件が整うとある瞬間に電子1個がソースからドットに移動する.ところが,この後では電子間のクーロン反発力により2個目の電子がドットに移動しにくくなる.もしもこのクーロン反発力の大きさが熱によるランダム力よりも十分大きいときには,2 個目の電子がソースからドットに移動することは完全に阻止されて正確に1個の電子をドットに入れることが可能となる.これがクーロンブロッケードである.もっと大きい電圧をゲートに印加すると正確に2個,あるいは3個以上の電子をドットに入れることも可能である.逆にドットの中の電子を少なくするには、ゲートに負の電圧を印加して以上の逆を行えばよい.
メモリを動作させるには,電子の出し入れだけでなく,電子の有無を外部から読み出す必要がある.これは電荷量が少ないので,簡単ではない.この問題は筆者らの考えた1トランジスタ型の単一電子メモリ(1)により解決された.1トランジスタ型の単一電子メモリでは、ドットの近くに電流経路を設けドットに電子があるかどうかによってソースとドレーンの間の電流の大きさが変ることを利用して読出しを行う((図1参照)
 具体的には,ドットに電子が入るとドットの中の電子と電流経路中の電子との間のクーロン反発力によりソース・ドレーン間の電流が減る.すなわち微小な電荷の変化を電流に変換して読み出すのである.このときのエネルギー変化をバンド図で図2に示す.
 以上の原理は極めて単純であるが,これを実現するのは容易ではない.なぜなら,電子間のクーロン力はそれほど強いものではないからである.これが熱エネルギーよりも大きくなるには,よほど電子と電子との間の距離が短くなったときだけである.このためにはドットが小さいことが必要になる.どのくらい小さいドットが必要になるのか?動作温度が液体ヘリウム温度(4.2 K)程度に低くてもよいならば,ドットの大きさは現在の微細加工技術で実現可能なサブミクロンの寸法でよい.
 しかし、産業的に大きなインパクトを持つのは、なんといっても室温動作である.なぜなら,パソコンや CD プレーヤの中に冷凍機を入れるわけにはいかないからである.しかし、室温動作のためには,10 nm 以下という極めて小さい寸法が必要になる.これは現在の微細加工の限界寸法より更に 10 分の1以下の寸法であり,簡単には実現できない.
 これを解決するには二つの道が考えられている.一つは,10 nm 以下の微細加工をなんとしても実現するという道である.いろいろとアイデアは出されているが、集積回路を安定して作れるような技術は確立されていない。今後に期待したい.
 もう一つの道は,自然に形成される極微な構造をうまく利用する方法である.これは、ドットの位置や大きさが完全には制御できないが,今でも集積回路が実現できている.
 例えば、厚み方向に原子 10 個以下という極めて薄いシリコンの膜の中では,膜の厚いところと薄いところで電子のポテンシャルエネルギーが異なるため,上記のドットと電流経路が自然に形成されるという現象を筆者らは発見した.これにより,単一電子メモリの室温動作が可能となっている.
我々のグループでは,上記の素子を用いて,1993 年に初めて室温で単一電子メモリの動作に成功した(1).その後,64 bit の小規模メモリ集積回路の動作を経て,更に 1998 年には 128 Mbit という最先端のメモリ集積回路に匹敵する高集積メモリの動作に成功している(2)(図3).今後の実用化には、素子間のばらつきを抑えることが大きな課題である.もう一つ大きな課題は,単一電子メモリが適する応用やチップの具体的なイメージを明確にしていくことであろう.応用により情報にアクセスする時間やビット当りの単価や情報保持の時間等の要求は大きく異なる.具体的な応用のイメージを明確にしていくことが実用化のキーとなるであろう.


文献
(1) K. Yano, T. Ishii, T. Hashimoto, T. Kobayashi, F. Murai, and K.Seki, “Room-temperature single-electron memory,” IEEE Trans. Electron. Devices, vol.41, pp.1628-1638, 1994.
(2) K. Yano, T. Ishii, T. Sano, T. Mine, F. Murai, T. Kure, and K. Seki, “A 128-Mb early prototype for gigascale single-electron memories,” 1998 IEEE International Solid-State Circuits Conference, pp.344-345, 1998.

やの かずお
矢野 和男
昭 59 年早大修士課程了.同年日立製作所中央研究所入社.以来,低温用 Si 素子,パストランジスタ論理,BiCMOS 回路,単一電子素子,システム LSI 設計技術に関する研究開発に従事.現在,同所主任研究員.平 3〜4 までアリゾナ州立大にて単一電子素子に関する共同研究に従事.工博.共著書「シリコン系ヘテロデバイス」.


戻る