The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers


ソノケミストリー

電子情報通信学会誌Vol.82 No.6 pp.587-591

香田 忍、野村浩康

香田 忍:名古屋大学大学院工学研究科物質制御工学専攻
E-mail koda@muce.nagoya-u.ac.jp
野村浩康:正員 名古屋大学大学院工学研究科物質制御工学専攻
Sonochemistry. By Shinobu KODA, Nonmember (Department of Molecular Design and Engineering, Graduates School of Engineering, Nagoya University, Nogoya-shi, 464-8603 Japan) and Hiroyasu NOMURA, Member (Department of Molecular Design and Engineering, Graduates School of Engineering, Nagoya University, Nogoya-shi, 464-8603 Japan).

1. は じ め に

 人の耳に聞こえない周波数 20 kHz 以上の音波は超音波(用語)と呼ばれ,計測,物性測定に工学,医学,生物学など広範な分野で利用されている.身近な例としては,ガラス器具や眼鏡の洗浄に使われる超音波洗浄機がある.超音波洗浄機を扱ったことのある人は,水の中に小さな気泡を観察したことと思う.周波数 20 kHz から数 MHz の強力な超音波を液体や溶液に照射するとキャビテーションが発生する.キャビテーションによる気泡の崩壊時には,短寿命の高温・高圧の局所場(ホットスポット)が形成されることが知られている.近年,この反応場は一種の極限反応場として注目され,様々な応用分野が見いだされ新たな展開を迎えている.ここでは,超音波に由来するキャビテーションを利用した化学作用を扱う分野すなわちソノケミストリーの特徴と最近の動向について簡単に解説する.

2. キャビテーションと化学作用

 沸騰や高速の攪拌など外部からの熱や力が液体を維持するために必要な力に打ち勝ったときに気泡は発生する.液体や溶液に超音波を照射した場合にも,局所的な圧力変動により,気泡が発生する.この様子を模式的に図1に示す.超音波により発生した気泡は,断熱圧縮過程でエネルギーが集中し,その崩壊時には,5,000〜数万度,1,000 数百気圧の高温・高圧の局所場を形成する.キャビテーションの生じやすさすなわちキャビテーションの発生する圧力はキャビテーションしきい値といわれ,液体の粘度,蒸気圧,表面張力などの物理化学的性質と超音波照射条件に依存する.一般には,周波数が低いほどキャビテーションは発生しやすい(1).
 ソノケミストリーで使用される実験装置は,発振器,振動子,反応容器からなる.振動子には,チタン酸バリウムやチタン酸ジルコン酸鉛などのセラミックス振動子やチタン酸バリウムなどの電歪振動子を2枚の厚い金属円筒型の金属で挟み込んだランジェバン振動子が用いられる.振動子の先端に取り付けた超音波ホーンを用いて外部から試料溶液に直接超音波を導入する方法もある.図2に我々が使用している反応容器の例を示す.
 キャビテーションの化学作用の効果を最も端的に反映した例は,水に超音波を照射した場合である.水あるいは水溶液に超音波を照射したときに発生するキャビテーションによる高温反応場において,水分子は分解し H・ や OH・ラジカルが生成する.

溶存気体も超音波反応場で分解し,(1)式で生成したラジカルから以下のような反応により過酸化水素,硝酸,亜硝酸が生成する.
   

図3に過酸化水素,硝酸,亜硝酸の生成量の照射時間依存性の一例を示す(2).生成物の濃度は 程度であり,通常の分析法により定量が可能である.亜硝酸,過酸化水素の濃度は照射時間に対して極大値を示すが長時間照射でも硝酸はほぼ直線的に増加する.過酸化水素は,酸素飽和下の条件では,照射時間とともに直線的に増加する.空気で飽和した水の pH は4程度にまで減少するが,アルゴン,酸素,窒素などを単独に飽和した水の pH はほとんど低下しない.弱酸性の超音波処理水は,過酸化水素による弱い酸化作用を示す.水に超音波を照射したときに式(1)や(2)で示したラジカルが形成することは,ESR 法(3)やフリツケ溶液(4)などを用いた化学的定量法等で確認されている.以上から,ソノケミストリーにおける反応場は,ラジカルが生成する状態にあることが理解できる.

3. キャビテーションと発光

 超音波により生成したキャビテーションの崩壊時に発光する現象が(1),古くから観測されてきたが,Gaitan らによる単一気泡による発光の詳細な研究報告(5)とともに再び注目されている.多数の気泡に由来する発光はマルチバブルソノルミネセンス(MBSL),単一気泡による発光はシングルバブルソノルミネセンス(SBSL)と呼ばれる.図4は円筒型セルを用いて観測した SBSL の様子を示す.図5は,Gaitan らにより得られた SBSL の気泡の大きさと発光強度の時間依存性を示す.彼らは,気泡の崩壊時に発光することや,発光は正確な周期で,発光時間 50 ps 以下で起きることを見いだした.SBSL スペクトルを黒体ふく射理論で解析した場合,一説によれば発光時の温度は 30,000 K にも達すると予測されている.しかし,現在なお発光機構は,完全に解明されたとはいえず実験・理論の両面からの研究が続けられている.超音波の化学作用の多くは,MBSL の場合に観測され,SBSL についての化学作用の研究はほとんど報告されていない.MBSL で観測される化学作用と SBSL での化学作用に差があるかどうかはソノケミストリーとして興味深い問題である.

4. ソノケミストリーの応用分野

 ソノケミストリーの関連する分野は無機・有機化学,高分子化学だけでなく生物・医学など多岐にわたっている.最近の代表的な例を以下に示す.
 無機化学の分野では,触媒の活性化,新規金属触媒の合成などにおいて古くから超音波が利用されている.1980 年代に,Suslick らにより,鉄カルボニル錯体の合成を超音波照射下で行い,熱や光を用いた場合とは異なる錯体が得られることを見いだしたことがこの分野の研究を活気づける引き金となった(6).その後,触媒を中心とした研究が数多く進められ,最近,前田らは,図1に示したような高速冷却反応場を利用し,ナノ貴金属微粒子の合成に超音波を利用した(7).
 有機化学の分野では,各種有機金属化合物の合成と反応,及び反応促進などの目的に強力超音波が利用されている.特に,Gringnard 試薬の調整をはじめとし各種有機金属試薬の調整に超音波は有効である(8).超音波を用いた反応は,単に反応速度や収率を向上するだけでなく,ホットスポットで生じる励起種(ラジカル種)により反応が進み,通常の熱反応とは異なる反応が選択的に進む(ソノケミカルスイッチング)ことも大きな特徴である(9).また,超音波照射によりベンゼンからフラーレン(10)がジクロロベンゼンからカーボンナノチューブ(11)などの合成も報告されている.超音波照射下の電極反応は一種の不均一反応系であり,陽極溶解促進と不働態化の抑制,物質移動効果などを期待し,ポリチオフェン,ポリアニリン,ポリシランなどの電解酸化重合に応用されている(12).
 高分子溶液に超音波を照射したときに,高分子鎖の切断が起ることは溶液の粘度が減少することから分かる.超音波照射による高分子の切断は,周波数,強度だけでなく溶媒の粘度や蒸気圧などに関係する.高分子鎖は鎖の中央部分で最も切断しやすく,長時間超音波を照射したのちに最終的に到達する高分子の分子量は照射前の高分子鎖の重合度にも,用いる超音波周波数にも余り関係せず,いずれの場合も数千程度の分子量に落ち着く傾向にある.分子量分布の広い試料溶液に長時間超音波を照射すると,分子量の低下とともに狭い分子量分布の試料が得られるのも超音波切断の特徴である(1),(2).超音波キャビテーションによる高温場で,モノマはラジカルとなり開始剤なしでラジカル重合が進む.このことは,超音波重合反応は 100% 純度の高分子が合成できることを意味している.適当な条件で超音波照射をした場合,高分子鎖の切断と再結合,更にモノマーのラジカル化が進み多様な高分子の合成が可能である.例えば天然高分子を含むモノマー溶液に超音波を照射すれば,天然高分子と合成高分子からなるブロック共重合体やグラフト重合体などの合成が可能である.
 高温・高圧の反応場で簡単に有機塩素化合物が分解することが報告されて以来,多くの環境汚染物質の処理法の一つとして超音波処理法が検討されてきた.この方法では,適当な処理条件で,有機汚染物質を無害化することができ,PCB などの有機塩素化合物だけでなく,フロン化合物,農薬,悪臭化合物の処理も検討されている(13).

5. 今後の課題

 かつて,超音波の化学作用の研究は,研究者により異なる結果が得られたり実験結果に再現性が乏しいなどの問題点が指摘された.この原因は,キャビテーションに由来する反応場の制御が十分ではないことによっている.例えば,超音波周波数,超音波強度,入力電圧を一定にしても,反応容器の形状が異なれば形成される音場に差が生じる.また,振動子の装着方法によっては,試料容器内の音の分布や強度にも差が現れる.ハイドロホンなどの音圧計は強度の空間分布測定には有効であるが,反応容器内の実効超音波強度の評価法としては十分とはいえない.現在,実験室レベルの化学定量法も幾つか提案され,実用的で簡便な強度測定法が検討されている.

文 献


こうだ  しのぶ 
香 田    忍(正員)
昭 47 名大・工・応用化学卒.昭 54 同大学院博士課程了.同年名大・工・助手.ソノケミストリー,液体及び溶液の物理化学,超音波法による高分子材料評価に関する研究に従事.現在,名大大学院工学研究科物質制御工学専攻助教授.工博.著書「液体及び溶液の音波物性」

のむら  ひろやす 
野 村  浩 康(正員)
昭 37 名大・理・化学卒・昭 37 同大学院修士課程了.同年名大・工・助手.液体及び溶液の物理化学,音波物性学,ソノケミストリーに関する研究に従事.現在,名大大学院工学研究科物質制御工学専攻教授.工博・著書「液体及び溶液の音波物性」.


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