Role of History on Research and Development of Science and Technology.By Shigeo TSUJII, Honorary Member (Faculty of Science & Engineering, Chuo University, Tokyo, 112-8551 Japan).
キーワード:特許,パラダイム,無線通信,フェライト,楕円曲線論,公開鍵暗号
(i) 郵政省による電波の割当ては 25 MHz であり,電話1ch 当り 25 kHz(FM 変調)を要するとして 1,000 ch を確保できる.
(ii) トラヒックを 0.01 アーランとして東京で 10 万加入,全国で 100 万加入を見込むことができる.
(iii) 自動車電話機の価格は1台 100 万円程度となるだろう.したがって市場規模は
100 万円×100 万台=1 兆円
と予測される.
これだけの市場が形成されるのなら,人材と研究費を注入するに値するとして,電電公社は開発に着手し 10 年の歳月をかけて,昭和 54 年,世界に先駆けて実用化したのである.現在,携帯端末の価格は約2万円,普及台数は約5千万台であるから1兆円という市場規模は見事に一致している.
しかし,商用化された当初は,文字どおり車載器であり,人が持ち歩けるような重量ではなかった.今日の携帯電話機の軽さ,小ささ,安さとマルチメディア性を予想することは至難であった.
このように人間の予測能力には限界があり,長期的な創造的予測は優れた直感や暗黙知に属するのであるが,歴史に学ぶことは,未来技術の非線形予測や評価を行う上で不可欠であろう.
こうしたことと合わせ,先人達の技術開発への情熱と意気込みを感じ取る意味でも,今回の会誌編集委員会の企画は意義深いものと思われる.
(i) 昭和5年 加藤与五郎,武井武(東工大)はフェライトを発見し特許を取得.
(ii) 東京電気化学工業(株)(現在TDK(株))は昭和 12 年フェライトの生産を開始.
(iii) 昭和 15 年 オランダ・フィリップス社から TDK へ注文が入り,同社は 200 本のテストピースを出荷(その折の注文書も残っている).
(iv) 昭和 16 年 オランダ・フィリップス社はフェライトに関する特許を出願(日米開戦のため TDK はこれを知ることはなかった).
(v) 昭和 24 年 フィリップス社はこの特許を日本にも出願.特許庁はこれを成立させてしまう(見落としたか故意かは不明).
(vi) その後,フィリップス社と加藤教授の間で特許の争いが続いたが,占領下の脆弱な経済状況の中で,名を捨て実をとらざるを得ず,両者は和解.
以上の経緯が初めて明らかにされたのは 1993 年であり,筆者も,末松東工大学長(当時),内藤東工大学長(現在)らと共に,故山崎貞一氏(当時 TDK 相談役)から直接話を伺った.詳細は伊賀が寄書(3)で述べているが,今回の特集号の趣旨を考え,要点を書き記した.
もっとも武井は最近,フェライトの国際会議で発明者として記念賞を受賞して名誉を回復しており,また,生産面でも,フェライトは日本の独壇場となっていることを付言しておく.
フェライトの開発は,現在,話題を呼んでいる大学の研究成果の企業への技術移転の好ましき例としても参考になろう.
これに対して,情報社会の基本技術であるマイクロプロセッサについては,日本人の発想でありながら,インテルの独走を許してしまった点で悔み切れない思いが残る.1969 年,日本の電卓会社,ビジコン社は,設立間もないインテルに汎用チップの製造を依頼した.細かい経緯はともかく,MPU の特許の申請者はインテル側の3人のみとなっており,これを武器にインテルは世界的企業に成長する(4).
また,今後サイバー世界のパスポートともなる IC カードについても,有村国孝(日本)とロラン・モレノ(フランス)が 1970 年代にほぼ同時に特許を出願しているが,有村は国内特許のみであったため,IC カードはフランス人の発明といわれることが多い.こうした苦い経験を客観的に分析しておくことも,歴史の教訓を生かす道であろう.
(1) 数百年以上にわたって,実社会への応用などとは無縁なところで,数学者が探求してきた理論が,情報社会の到来によって,思いもかけず,人,モノ,金,情報コンテンツ,サービス,時刻や個人の権利等々の真正性を保証し,偽を防ぐための暗号技術に利用されることになった.つまり,知的資産はいつ,どのような形で利用されるか予想し難いということである.
(2) ある発明や発想に対して,だれが,あるいはどの組織がどのように寄与したのかについてはできるだけ公平に歴史に残しておくことが,ひずみを除き,研究者の励みにもなるという意味で望ましい.
(3) サイバースペースの基盤技術に対する日本の数学者の貢献が顕著である.これは,高木貞治博士以来の整数論研究の伝統と蓄積に負うところも大きい.
現在,暗号学的に安全な楕円・超楕円曲線を効率良く生成するための手法として,志村五郎による虚数乗法論が活用されている.
また,楕円暗号ではないが,これまでの公開鍵暗号の主座を占めてきた RSA 暗号についていえば,その鍵となる基本公式は,18 世紀のオイラーに先駆けて,江戸期の和算家久留島義太(?〜1757)が発見していた.
(4) それにもかかわらず,谷山・志村(ヴェイユ)予想の証明が,最終的には日本人の数学者の手によってなされなかったのはなぜか.
このことを筆者は,ある数学者に聞いてみた.「日本人では神経がもたなかったでしょう」という答えであった.7 年間の孤独な闘いに打ち克つ精神的・肉体的タフネスがないということだが,本稿の初めに記した志田のような存在を知れば,強靱な個性の持主も少なくないはずである.
しかし,最近の日本の大学等で行われている近視眼的視野での自己評価や外部評価は,スケールの大きな研究に取り組む意欲を削ぐというマイナス効果の方が大きいのではないだろうか.底辺を持ち上げて,並の論文を量産することに大きな意味は見いだせない.孤独に耐えて自分のテーマにこだわり続ける探求者を迫害しない寛容さが,研究組織には不可欠である.
(5) 楕円曲線上の離散対数問題を公開鍵暗号に利用することを提案したのは,米国の数学者ミラー及びコブリッツであった.1980 年代中ごろのことである.楕円曲線論では世界的研究者の多い日本から,このようなアイデアが生まれなかったのはなぜか.それは,米国と比べるとき,情報セキュリティ意識の高低差もあったが,工学と数学の学際関係の濃淡差によるところも大きいと思われる.
ドイツのある数学者にこのことを話したら,米国がむしろ例外なのだと言っていた.何ごとによらず,社会全体がボーダレスなところが,米国の強みの秘訣かもしれない.一方,日本はヨーロッパ諸国に比べても,縦割り的傾向が強かったことは否定できない.
電子情報通信技術の内部で見ても,1960 年代の米国におけるディジタルフィルタを中心とするディジタル信号処理技術の誕生に際して,回路網理論と音声処理の融合があった.当時日本は,回路網理論は世界のトップレベルにあったが,この分野の研究者達はある種の純粋さを誇りにしていたようにも感じられた.
また,現在,量子コンピュータや量子暗号の分野で,欧米の研究が活性化しているが,日本は,この方面でも,数学−物理−工学の学際的連携・融合の強化が強く望まれる.
文 献
つじい しげお
辻 井 重 男(名誉員)
昭 33 東工大・工・電気卒.中大教授,研究開発機構長.東工大名誉教授.本会会長等歴任.郵政省電波管理審議会委員.本会功績賞,大川出版賞等受賞.著書「暗号─ポストモダンの情報セキュリティ」(講談社メチエ選書),「暗号と情報社会」(文春新書)など.