The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers


科学技術の研究開発と歴史の役割

電子情報通信学会誌Vol.82 No.11 pp.1092-1097

辻井重男

辻井重男:名誉員 中央大学理工学部情報工学科
E-mail tsujii@ise.chuo-u.ac.jp

Role of History on Research and Development of Science and Technology.By Shigeo TSUJII, Honorary Member (Faculty of Science & Engineering, Chuo University, Tokyo, 112-8551 Japan).

【ABSTRACT】
 マルコニーの電波による無線通信に 10 年先駆けた志田林三郎による導電式無線通信プロジェクト,NTT による自動車電話の世界初の商用化,東工大におけるフェライトの発明と TDK(株)への技術移転,及びオランダ・フィリップス社との特許係争などの歴史から得られる今後の技術開発に対する教訓について私見を述べた.
また,代数的整数論・楕円曲線論という実用と全くかかわりのなかった人類の知的資産が,唐突に電子情報社会の基盤技術としての公開鍵暗号に不可欠となった歴史から引き出される,今後の科学技術研究のための指針やルールについて考察した.

 キーワード:特許,パラダイム,無線通信,フェライト,楕円曲線論,公開鍵暗号

1. 未来開拓研究への評価と歴史の教訓

 現在,郵政省と科学技術庁の連携により成層圏プラットホームと呼ばれる大規模な国家的プロジェクト研究が進められている.
 成層圏プラットホームとは,気象条件が比較的安定している成層圏に通信装置や観測センサ等を搭載した無人の飛行船を滞空させ,21 世紀の情報通信インフラとして活用しようとする世界初の意欲的な研究開発である.これが成功すれば,通信・放送はもとより,環境・資源等の諸課題の解決にも大きな効果をもたらすものと予想される.
 最近,国の行う大規模な研究開発に対しては,外部評価を受けるべきことが政府の大網的指針によって定められており,筆者も評価部会の委員としてその末席に連なっている.飛行船を定点に滞空させるための制御技術や太陽エネルギーの供給方法,更には,故障時に落下して惨事を招くのではないかという不安を杞憂化する方策など難しい課題も多いようで,各委員の厳しい質問を聞きながら,このような未来開拓研究に対する評価のあり方を,明治以来の技術開発の歴史に思いを馳せつつ考えていた.
 プロジェクトが失敗した場合には,評価部会としても責任の一端を担うことになる.しかし,リスクがあるから中止した方がよいと評価した場合,可能性の芽を摘み取ってしまうことになり,この責任はより大きいのではないだろうか.線形予測の範囲内で,成功疑いなしと判断してゴーサインを出すような評価ならだれでもできるわけである.
 大学の研究者は,個人レベルで選んだテーマに研究生活を賭けている.企業も,時には社運を賭けて製品開発に取り組むことも少なくない.
 国としても,このプロジェクトに限らず,人類未踏の研究開発にチャレンジすることは,仮に直接的目標を達成できなかったとしても多くの副産物や知的資産の蓄積を通じて,世界に貢献する道であることを,当事者は財政当局や国民に訴えるべきであろう.
 それにつけて思い起されるのが,維新開国してまだ日も浅い明治 18 年(1885 年),志田林三郎らによる水面を利用した導電式無線通信の国家的実験プロジェクトである.1895 年のマルコニーの電波による実験成功に 10 年先駆けて,電線を使用せずに,通信を行う方法はないかと発想し,これを隅田川や品川沖で実験して,時の逓信大臣榎本武揚の立会いの下に成功させた実行力には驚くほかない.
 発展途上の小国日本から英国グラスゴー大学のケルビン卿の下へ留学した志田の活躍は目覚ましく,わずか1年の滞在であったにもかかわらず,最近のグラスゴー大学の学長あいさつにも志田の名が引用されるほどであるという.
 志田は電気学会設立の主導者であり,明治 21 年(1888 年)第一回設立通常会において,「電線を用ひず数里の河海を隔てて,自在に通信又は通話し得るの節も来るべし」と無線通信の実用化を予言し,更に,光通信・録音・録画等,十指にのぼるシステムの実現を予想している.
 志田の驚嘆すべき先見性と行動力については,信太の成書(1)に詳しいので参照されたい.
 1885 年の隅田川を挟んでの実験から3年ほどしてヘルツが電波の発生に成功し,我が国でもマルコニーの電波による通信の1年後の 1896 年には無線通信の研究が逓信省の研究機関(電気試験所)で開始された(2).これには志田らによる先駆的試みの影響があったものと推察されるが,逓信大臣後藤象二郎と次官前島密の対立に絡む志田の辞職がなければ,そして 36 歳の若さで夭折しなければ,電波による無線通信の研究もより強力に進められたのではないだろうか.
 いずれにしても継続は力なりと信じ,失敗にめげず,息長く研究を続けることが大きな成果につながるといえる.
 時代は下って,昭和 44 年,電電公社電気通信研究所(当時)は,自動車電話の開発に着手した.平出賢吉氏(当時 NTT,現在日本無線(株))によれば,当初,開発の指導者らは次のような市場予測を行ったという.

  (i) 郵政省による電波の割当ては 25 MHz であり,電話1ch 当り 25 kHz(FM 変調)を要するとして 1,000 ch を確保できる.

 (ii) トラヒックを 0.01 アーランとして東京で 10 万加入,全国で 100 万加入を見込むことができる.

 (iii) 自動車電話機の価格は1台 100 万円程度となるだろう.したがって市場規模は
     100 万円×100 万台=1 兆円
   と予測される.

 これだけの市場が形成されるのなら,人材と研究費を注入するに値するとして,電電公社は開発に着手し 10 年の歳月をかけて,昭和 54 年,世界に先駆けて実用化したのである.現在,携帯端末の価格は約2万円,普及台数は約5千万台であるから1兆円という市場規模は見事に一致している.
 しかし,商用化された当初は,文字どおり車載器であり,人が持ち歩けるような重量ではなかった.今日の携帯電話機の軽さ,小ささ,安さとマルチメディア性を予想することは至難であった.
 このように人間の予測能力には限界があり,長期的な創造的予測は優れた直感や暗黙知に属するのであるが,歴史に学ぶことは,未来技術の非線形予測や評価を行う上で不可欠であろう.
 こうしたことと合わせ,先人達の技術開発への情熱と意気込みを感じ取る意味でも,今回の会誌編集委員会の企画は意義深いものと思われる.

2. 歴史の歪曲と矯正−フェライトの場合

 様々な理由によって,研究・開発の歴史が歪曲されて伝えられ,定説となってしまうことも少なくない.しかし,研究者・技術者は,知的探究・発見の喜びとともに,巧名や実利を求めて研究開発に励むのが常であるから,やはり歴史のひずみは矯正しておかねばならない.
 また,日本は基礎研究は欧米に負い,もっぱら生産に励んできたようにジャーナリズムや評論家が書きたて,国民がそれを信じているのも困ったものである.
 日本が欧州の一国であれば,ノーベル賞受賞者も数倍に増えているだろうといわれるが,文化的・国際的地位による過少評価も正していかねばならない.
 例えば,日本の独創的技術であるフェライトについて,第二次大戦を挟んで,次のような無念な出来事があった.

 (i) 昭和5年 加藤与五郎,武井武(東工大)はフェライトを発見し特許を取得.

 (ii) 東京電気化学工業(株)(現在TDK(株))は昭和 12 年フェライトの生産を開始.

 (iii) 昭和 15 年 オランダ・フィリップス社から TDK へ注文が入り,同社は 200 本のテストピースを出荷(その折の注文書も残っている).

 (iv) 昭和 16 年 オランダ・フィリップス社はフェライトに関する特許を出願(日米開戦のため TDK はこれを知ることはなかった).

 (v) 昭和 24 年 フィリップス社はこの特許を日本にも出願.特許庁はこれを成立させてしまう(見落としたか故意かは不明).

 (vi) その後,フィリップス社と加藤教授の間で特許の争いが続いたが,占領下の脆弱な経済状況の中で,名を捨て実をとらざるを得ず,両者は和解.

 以上の経緯が初めて明らかにされたのは 1993 年であり,筆者も,末松東工大学長(当時),内藤東工大学長(現在)らと共に,故山崎貞一氏(当時 TDK 相談役)から直接話を伺った.詳細は伊賀が寄書(3)で述べているが,今回の特集号の趣旨を考え,要点を書き記した.
 もっとも武井は最近,フェライトの国際会議で発明者として記念賞を受賞して名誉を回復しており,また,生産面でも,フェライトは日本の独壇場となっていることを付言しておく.
 フェライトの開発は,現在,話題を呼んでいる大学の研究成果の企業への技術移転の好ましき例としても参考になろう.
 これに対して,情報社会の基本技術であるマイクロプロセッサについては,日本人の発想でありながら,インテルの独走を許してしまった点で悔み切れない思いが残る.1969 年,日本の電卓会社,ビジコン社は,設立間もないインテルに汎用チップの製造を依頼した.細かい経緯はともかく,MPU の特許の申請者はインテル側の3人のみとなっており,これを武器にインテルは世界的企業に成長する(4).
 また,今後サイバー世界のパスポートともなる IC カードについても,有村国孝(日本)とロラン・モレノ(フランス)が 1970 年代にほぼ同時に特許を出願しているが,有村は国内特許のみであったため,IC カードはフランス人の発明といわれることが多い.こうした苦い経験を客観的に分析しておくことも,歴史の教訓を生かす道であろう.

3. 楕円曲線をめぐる話題

   生々しい分野から知的香りの高い数学に話題を転じよう.
 「100 年後の今日から振り返って見れば,19 世紀の数学は大体において,どうやらガウスが伏せておいた秘密をガウスなしにも発見してしまったようである.一人の大英雄が出なかったとしても,時世は幾多の小英雄を生んで,行けるところまでは行くものと見える」(高木貞冶『近世数学史談』).
 史上,最大の数学者ガウスは,成果の発表に謙抑的であったようで,多くの結果を筐底に秘めておいたという.アーベルやヤコビが創り始めた楕円関数論もガウスが先行して築いていたことは遺稿から明らかなようである.
 文学や音楽の創作と異なり,科学的真理や有用な技術は,いずれはだれかが発見するもので,どこの国のだれが最初にアイデアを得たのかといったことはどうでもよいという言い方もできなくはない.
 しかし,科学・技術上の発明・発見は,個人の名利や企業の盛衰,あるいは国家の威信をかけて人々が演じるドラマでもある.個人のレベルで考えれば,真理探求欲・知的好奇心と名誉・実益への欲望の両者が多かれ少なかれ,心の中に同居しており,その比重に個人差はあっても,いずれか一方のみという人はまれではないだろうか.
 さて,楕円関数論を引き合いに出したのは,楕円関数によってパラメトライズされる代数曲線である楕円曲線の理論が今,サイバー世界の構築に不可欠な公開鍵暗号の主役の座を占めようとしているからであり,しばらく,この分野の話題を続けることとしたい.
 1994 年から 1995 年にかけて,フェルマー予想がワイルズによって証明されたことが確認され,360 年ぶりの決着が話題を呼んだ.フェルマー予想は,19 世紀にクンマーによる代数的整数論の誕生を促したという歴史的役割を終えて,単発的・趣味的な問題と見なされていたが,1980 年代に楕円曲線と関係付けられ,「谷山・志村・ヴェイユ予想」の本質的解決の副産物として,証明されるに至ったのである(5).
 楕円曲線論は,数論と代数幾何学が深く交差して構築される理論の美しさの故に多くの人々を魅了してきたし,更にその深淵の秘密を探るべく現在も多数の数学者を惹き付け発展している分野である.
 こうした美と神秘の世界もまたガウスのような超越的な人物ばかりともいえず,世俗的な話題に事欠かないところが,生身の人間が演出する歴史の舞台の面白さであろう.
 それは,「楕円曲線はモジュラーであろう(楕円曲線は保型形式という秩序ある関数によってとらえることができるだろう)」という予想をどう呼ぶかをめぐり,20 世紀最大の数学者ヴェイユ(1994 年京都賞受賞)を被告席に座らせるような形で進展してきた.この予想は,1955 年,日光で開催された整数論の国際会議で谷山豊により提起され,後に志村五郎が定式化し,この間,ヴェイユもこの問題に関する論文を書くというような経緯で進み,その予想の正しさを疑う数学者はいないという信念のレベルにまで高まってきたのだが,20 世紀中に証明されることは困難視されていた.
 しかしワイルズ(米)は,一念発起して,7 年間,屋根裏部屋にこもるほどに集中して苦闘し,岩沢(健吉)理論をはじめとする多岐にわたる理論を総動員して,1994 年,遂にこの予想の本質的部分を解決したのである.
 先に記した谷山・志村・ヴェイユ予想は,この予想の一つの呼称であるが,「谷山・ヴェイユ予想」あるいは国によっては,単に「ヴェイユ予想」と呼ばれていたり,一定していなかった.この間,数学者ラングが,真相解明に乗り出し,「ヴェイユはこの予想に何の貢献もしていないのではないか」と言い出し,「ヴェイユはこの予想に自分の名が冠せられることを楽しんでいたのではないか」として,これを糾明するような私信をヴェイユに出したりしている.これに対し,ヴェイユは「ピタゴラスの定理だってピタゴラスとは何の関係もないではないか」と旗色が悪い.
 最近の日本経済新聞は,この予想が全面的に証明されたことを報じているが,その記事では「谷山・志村予想」となっている.また,現在,米国では,「志村・谷山予想」が定着しているという(ハーバード大学で在外研究中の中央大学趙晋輝教授の E-mail による).
 楕円曲線に関するこのような話題を紙面を割いて記したのは,幾つかの指針やルールを楕円曲線に関する歴史から引き出したかったからである.

 (1) 数百年以上にわたって,実社会への応用などとは無縁なところで,数学者が探求してきた理論が,情報社会の到来によって,思いもかけず,人,モノ,金,情報コンテンツ,サービス,時刻や個人の権利等々の真正性を保証し,偽を防ぐための暗号技術に利用されることになった.つまり,知的資産はいつ,どのような形で利用されるか予想し難いということである.

 (2) ある発明や発想に対して,だれが,あるいはどの組織がどのように寄与したのかについてはできるだけ公平に歴史に残しておくことが,ひずみを除き,研究者の励みにもなるという意味で望ましい.

 (3) サイバースペースの基盤技術に対する日本の数学者の貢献が顕著である.これは,高木貞治博士以来の整数論研究の伝統と蓄積に負うところも大きい.
 現在,暗号学的に安全な楕円・超楕円曲線を効率良く生成するための手法として,志村五郎による虚数乗法論が活用されている.
 また,楕円暗号ではないが,これまでの公開鍵暗号の主座を占めてきた RSA 暗号についていえば,その鍵となる基本公式は,18 世紀のオイラーに先駆けて,江戸期の和算家久留島義太(?〜1757)が発見していた.

 (4) それにもかかわらず,谷山・志村(ヴェイユ)予想の証明が,最終的には日本人の数学者の手によってなされなかったのはなぜか.
 このことを筆者は,ある数学者に聞いてみた.「日本人では神経がもたなかったでしょう」という答えであった.7 年間の孤独な闘いに打ち克つ精神的・肉体的タフネスがないということだが,本稿の初めに記した志田のような存在を知れば,強靱な個性の持主も少なくないはずである.
 しかし,最近の日本の大学等で行われている近視眼的視野での自己評価や外部評価は,スケールの大きな研究に取り組む意欲を削ぐというマイナス効果の方が大きいのではないだろうか.底辺を持ち上げて,並の論文を量産することに大きな意味は見いだせない.孤独に耐えて自分のテーマにこだわり続ける探求者を迫害しない寛容さが,研究組織には不可欠である.

 (5) 楕円曲線上の離散対数問題を公開鍵暗号に利用することを提案したのは,米国の数学者ミラー及びコブリッツであった.1980 年代中ごろのことである.楕円曲線論では世界的研究者の多い日本から,このようなアイデアが生まれなかったのはなぜか.それは,米国と比べるとき,情報セキュリティ意識の高低差もあったが,工学と数学の学際関係の濃淡差によるところも大きいと思われる.
 ドイツのある数学者にこのことを話したら,米国がむしろ例外なのだと言っていた.何ごとによらず,社会全体がボーダレスなところが,米国の強みの秘訣かもしれない.一方,日本はヨーロッパ諸国に比べても,縦割り的傾向が強かったことは否定できない.
 電子情報通信技術の内部で見ても,1960 年代の米国におけるディジタルフィルタを中心とするディジタル信号処理技術の誕生に際して,回路網理論と音声処理の融合があった.当時日本は,回路網理論は世界のトップレベルにあったが,この分野の研究者達はある種の純粋さを誇りにしていたようにも感じられた.
 また,現在,量子コンピュータや量子暗号の分野で,欧米の研究が活性化しているが,日本は,この方面でも,数学−物理−工学の学際的連携・融合の強化が強く望まれる.

4. む す び

 日露戦争に勝利した後,歴史編纂に携わった人は左遷の憂き目にあったという.科学技術の開発史も勝ち戦の歴史のようなものだが,すべての人や組織の功績を過不足なく,公平に記述することは不可能に違いない.それでも,歴史は人々の心のよりどころであり,励みでも反省材料でもあり,可能な限り詳細かつ正確に残しておくことは有意義であろう.
 近ごろ,日本は経済を中心に意気消沈の体だが,1998 年の,米国における世界各国の企業からの特許取得数のベスト 10 を見れば,6 社は日本企業であり,この数字を見る限り,日本の製造業健在なりといえる.しかも従来,赤字であった技術料の収支についても,1993 年以降,黒字に逆転していることは案外知られていない事実である.
 しかし,よく指摘されるように基本的な特許ではどうかということのほかに,製造業自体が情報ネットワークをインフラとして進化し変容しつつあることにも目を向ける必要がある.
 我が国は,明治以来,欧米が定めたパラダイムとルールの中で,要素技術を中心によく頑張ってきたともいえるが,コンセプトを提案し,自ら土俵を設けて勝負したことは少ない.したがって,電子マネーのような社会的システム,あるいはビジネスモデルに知的財産権を請求されると不意をつかれた形になってしまう.
 科学哲学者クーンはその著「科学革命の構造」の中で,あるパラダイムの中での科学研究をパズル解きと称している.パズル解きにも,大小様々な独創性が必要であるが,今後は,我が国の研究者・技術者も良きアイデアをコンセプトにまで止揚し,体系化するとともに,工学・技術と他の学問分野や社会・経済システムとの様々なボーダを超えて柔軟に発想し,自らパラダイムの拡大・転換を図っていくことが強く望まれる.

文 献


つじい しげお
辻 井 重 男(名誉員)
昭 33 東工大・工・電気卒.中大教授,研究開発機構長.東工大名誉教授.本会会長等歴任.郵政省電波管理審議会委員.本会功績賞,大川出版賞等受賞.著書「暗号─ポストモダンの情報セキュリティ」(講談社メチエ選書),「暗号と情報社会」(文春新書)など.


戻る