1.総   論 【 1-1総合技術としてのシミュレーション工学 】

山 下 榮 吉

 シミュレータは,与えられた構造についての要求条件を入力すれば,その内部で方程式を解き,計算された必要寸法あるいは計算された性能を表示する.結果が気に入らなければ,定数を変えて計算を繰り返すことができる.このプロセスを早めたければ,適当な最適化手法を応用する.結局,シミュレータの使用によって,デバイスなどの設計が短時間で効率良くできることになる.この意味でシミュレーション工学と呼べるであろう.マイクロ波以外の分野のシミュレータも原理的には似たような構成となる.

 ここで現在のシミュレーション工学に到達した歴史をマイクロ波分野について具体的に振り返り,電子情報通信学会に設置されているマイクロ波シミュレータ研究会(MS研究会)で議論されていることと実施されていることを述べる.

 マイクロ波技術の歴史は1930年代に導波管の中の電磁波伝搬の研究が行われた結果として始まった.したがってマイクロ波技術の発展はマクスウェル方程式による境界値問題の解析技術の発展と密接に関連している.つまり計算手段としての計算機が重要な役割を担ってきたのが事実である.

 しかし電磁界解析結果の初期は,もっぱら研究者の興味任せで,厳密に解ける問題を探すというアプローチであった.したがって,工学上の必要性があっても,複雑な構造の境界値問題は研究の対象としては選び難いものであった.

 1950年代のストリップ線路の出現は,数学の一分野の等角写像法にマイクロ波回路の設計という工学上の重要な役割を与えた.この理論による設計は関数値の計算という単純なものであり,特に計算機械が必要でもなかった.一方で,手回しのタイガー計算機が電動化されたような電動計算機が現れていた.

 1960年代のアメリカでは,既に主要大学にカード入力によるIBM7094コンピュータがあり,物理学者のシミュレーション研究,あるいは導波管の境界値問題の解析などに応用されていた.コンピュータにより複雑な回路構造の設計をするという概念は,このころに認知されたと考えられる.しかしトランジスタを含む能動回路にまで応用されたのは後のことである.

 この時代のマイクロ波回路設計に用いられた解析手法は差分法,フーリエ変換面法,有限要素法などがあるが,コンピュータの能力が低かったので,計算効率が極めて重要視された.1回の数値計算に要する時間が短く,必要な記憶容量が小さいとき,計算効率が高いと見なされた.しかしコンピュータの能力は次第に高くなり,スーパコンピュータも一般研究者に使えるようになった.したがって行列の過大さから敬遠されていた方法も次第に実用化され始めた.計算に要する時間も短くなり,最適設計のための繰返し計算も簡単に行えるので,ここで工学的な設計が可能となったのである.

 今日のコンピュータは初期のものと比較にならないほどの高い能力を持っている.マクスウェル方程式も四次元の差分化をして扱えるようになり,コンピュータ支援の対象も受動回路のみならず能動回路,非線形回路,アンテナ,測定器にまで広がった.計算技術の発展とコンピュータ自体の普及により,Computer Aided Design (CAD)ビジネスが出現した.計算方法を深く知らなくても,設計上の要求事項を入力すれば,しかるべき計算の後に,決定した構造寸法データが出力されるソフトウェア,つまりシミュレータのビジネスである.このようなCADソフトウェアが便利なので,一部の技術は盲目的にこれを使用し自分で設計方法を考えることがないという極端な例も聞いている.

 MS研究会では日本のシミュレータに関する環境について様々な議論を重ねてきた.日本でマイクロ波シミュレータが生まれ難い状況はなぜか.多くのシミュレータがブラックボックス化されているが,これで健全といえるのか.シミュレーションに関する学生教育に問題がないか,等々.その結果,第1の問題点として解析合成手法研究者,CADソフトウェア製作販売者,及びCADソフトウェア使用者の間にコミュニケーションが不足して,設計値を客観的に評価し難い状況が指摘された.また,CAD内容と最新の研究成果に密接な関係がある以上,MS研究会では研究論文同様に市販CAD手法のオリジナリティの明確化が望ましいと考えている.したがって強調すべき点は次のとおりである.


@ 解析手法研究者が発表を行うとき,関連研究の文献を明記する.  
A CADソフトウェア製作販売者は,関連研究の文献,計算精度,実験との比較結果,及び使用可能範囲を明記する.グレードアップの際には,改善部分を明記する.

 第2の問題点は,将来の日本のマイクロ波産業を担う技術者の育成に関するものである.MS研究会は次の点で改善策が必要と考えている.

@ 学生がCADソフトウェアを自分で作れるようになる大学教育  
A 大学の研究者が産学共同研究あるいはベンチャービジネスとして学生とともに高度のCADソフトウェアを開発できる環境

このような改善の方向を探る基本調査として,MS研究会は日本のマイクロ波シミュレータ技術について大学,企業の研究者,技術者の意識を知るためのアンケート調査を平成11年6月に実施した.本稿の最後にその依頼文概要と質問内容を添付したので,これにより調査の方向を理解して頂けるものと考えている.  その結果,大学関係は153名送付に対して50名,企業関係は244名送付に対して49名の方々の御回答を受け取った.回答内容の統計については,本年3月10日に東京工業大学で開催した「第一回マイクロ波シミュレータワークショップ」において詳細に述べられたが,

ホームページ:http://www.ieice.org/es/ms/jpn/

にも記載されている.本稿では,そのアンケート回答の一部であるが,企業関係者の「その他の意見」欄に書かれたコメントを興味深い内容として最後に紹介する.MS研究会はこのような調査結果を一助として日本における本格的なシミュレータ技術の発展と教育のために活動する.

 今回の学会誌特集では,更に日本におけるシミュレーション工学の現状を詳細に知るために,デバイス,回路,EMC設計,マイクロ波及び光波伝送,アンテナ,電磁波伝搬,移動通信,通信ネットワーク設計の広い分野について専門家の解説をお願いした.



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