藤 井 孝 藏


■5. 実験を超えられないか?

 数値シミュレーションは風洞を超えていないとはいえ,今や多くの分野で研究開発の道具として利用されている.数値シミュレーションには数値シミュレーションとしての利点がある.一般的な複雑形状,複雑条件では信頼性が十分でなくとも,ある限られた条件下においてであれば短時間のうちにかなりの精度で答えることができる.例えば二つの形状の相対的な比較などは手軽にできる.航空機分野では,翼型や翼の初期設計にはなくてはならない存在で,すべてのメーカーで利用されている.このように,実験と数値シミュレーションは共存しており,それぞれが得意な領域を補完し合って研究開発をより高度なものに,そして開発の期間をより短いものにしている.例として,現在山梨実験線で研究が進められているリニアモータ車両に関するシミュレーション画像を図3に示す.毎時500キロ以上というこれまで経験のない速度で地上走行をすることから,航空機などで利用される解析技術が積極的に利用されている.先頭車両形状の基礎設計,車両に生ずる種々の空力問題,車両がトンネルに突入する際に生ずる騒音問題など,様々な面から数値シミュレーション技術が現象解明や課題対策に役立っている.



図3 山梨実験線におけるリニア車両トンネル突入の空力シミュレーション
   (協力:JR東海)



 数値シミュレーションが優位にあるケースもある.戦争シーンで船の付近に爆弾が落ちしぶきが上がるシーンとか,船の周りに波が立っているシーンなどを模型を使って再現した映画はどうしてもそれらしくは見えない.もくもくと煙が上がるシーンなども同様である.これは模型を使ってしまうとスケール効果が観客に見えてしまうからで,専門的にいえば流体を支配する重要なパラメータの違いに人間が気づいてしまうからである.このような場合,数値シミュレーションのモデルが正確で,それを精度良くコンピュータ上で実現できたとしたら,シミュレーションで作られたグラフィックス映像は模型による実写映像よりも間違いなくリアルな画像を生み出すに違いない.




■6. 更にその先? 夢を形に

 仮に数値シミュレーション技術がその課題を克服したとしよう.その先には何が待っているだろうか?
仮想現実─バーチャルリアリティ(VR)が話題となってから既に10年以上がたった.当初は話題性ばかりが先行したきらいのあったVR技術であるが,その後,計算機性能,描画性能,デバイスなどの技術が進み,実際の有効利用が可能となってきた.先日,宇宙飛行士の土井隆雄さんが「スペースシャトルの船外活動でクレーン操作をしたとき,地上で行ったVRのシステムを利用した訓練がとても役に立った.違和感はほとんどなかった」と語っていた.バーチャルキッチンでキッチンの広さを決めたり,マンションの購入の際に景観シミュレーションで部屋を選んだりといった利用は既に以前から行われている.これからは景観だけでなく,西日による部屋の温度上昇とか吹く風の方向や強さなども部屋の選択に取り入れていかれるだろう.仮想現実の質を高めるには,ここでもより正確な「そうである」物理シミュレーションが必要となる.窓を通して入ってくる熱ふく射,マンション近辺の風の変動などは建築するまでは実測することもできないので,結局は数値シミュレーションに頼るしかない.

 上述した理化学研究所の姫野氏らは神宮球場を背景にしたバーチャルバッターボックスを計画している.VRの中で実際にバットを持って松坂の速球を打ってみよう(みたつもりになろう?)という試みである(図4参照).ここでも「そうである」シミュレーション技術がその背景になくてはならない.その意味で,シミュレーションの更なる高速化と技術の向上が期待される.



図4 VRを利用した仮想バッティング(理化学研究所姫野による:写真は東京新聞提供)



最後に筆者の専門である航空機を考えてみよう.航空機の事故は,実際には起る確率が大変低いにもかかわらず,起った場合の規模の大きさから常に社会的に大きな問題となる.仮に複合的な計算力学技術が高度に発達したとしよう.航空機が突風などを受けて危険な状態に入ったとき,実際に現象が起るよりも早くシミュレーションで起ることが予想できたら,それを基にパイロットは対策を講じることができる.自動的に危険な状態を回避するように自動操縦することも可能となるであろう.そのためには,気象や局所的な気候情報,その他必要なすべての条件をリアルタイムに航空機が受けられることが前提であり,高速の無線通信が必要となる.更に進めば,いわば無人航空機も可能だろう.無人の航空機輸送ができれば交通機関について大きな変革が起るかもしれない.コンピュータ,通信,すべてのITが結実して実現できる夢といえる.

 今は特別な情報機器であるパソコンが携帯電話や家電製品と融合して身近になっていくと予測されているように,数値シミュレーション技術も進化したVR技術と融合することで身近な生活の道具となっていく可能性を秘めている.ハードウェアの進歩が不可欠な要素であることは間違いないが,一方で,その鍵はソフトウェアが握っていることはパソコンの例からも容易に推測できる.短期的にはある種の成熟を迎えた流体の数値シミュレーション技術であるが,長い目で見た場合その将来はこれからも夢を実現する重要な研究課題であると考えるのは手前味噌であろうか.




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