(2) GIIと沖縄IT憲章,そしてIT基本法

 さて,昨今忘れられがちな点の第2は,まさに本号の特集のテーマと直結する.すなわち,ゴアによるもともとのGII提案においては,まさに「人類の幸せのために」GIIを構築するのだ,との理念が明確に示されていたことである.しかもそこでは,いわゆる市場競争に問題を委ねるのみでは十分ではないとの視点も,同時に示されていた.だが,その後のゴア,そしてアメリカ政府は,市場競争・規制緩和万能論を他の諸国に対して強要し,かつ,明確な自国への富の(更なる)移転を目指す方向に,堕していった.1995年2月にはこうした方針がゴアとブラウン商務長官連名の文書で示され,1995年1月1日設立の世界貿易機関(WTO)における,いわゆる基本テレコム交渉(1997年2月妥結)でも,アメリカは他国の市場開放をあくまで求めることにこだわった.こうして,「人類の幸せのために」という基本理念は,どんどん影の薄いものとなっていったのである.

 この暗い流れを変えたのが,2000年のG8九州・沖縄サミットで出された「沖縄IT憲章」である.そこでは,21世紀情報社会の基本理念として,「すべての国々・すべての人々のために」との点が明確に示された.そこで問題が,ようやく,ゴアのもともとのGII提案の原点に回帰したことを,我々は,深く認識すべきなのである.そして,この沖縄IT憲章の掲げた理念に基づき,日本で同年に制定されたのがいわゆるIT基本法なのである.

 だが,こうした2000年の画期的な出来事がありながら,現実の日本国内では,“あだ花”としてのDSL(特にADSL[そのAは「非対称的」])ブーム,そしてNTTグループを解体すれば日本のITは数年でアメリカに追いつく,などといった「技術の視点」を無視した暴論が,いまだにまかり通っているのである.


■2. 「技術の視点」を度外視した「公正競争論」の暴走

 (1) 真の「技術の視点」と「人類の幸福」

 改めて1993年ごろからの日本の通信(電気通信)政策を詳細に検討してみて分かったことがある.確かに,アメリカで全米情報通信基盤(NII [National Information Infrastructure])構想が1993年9月に示され,翌年3月のゴアのGII提案が取りざたされていたころは,NTTのVI&P計画における全国(加入者回線)光ファイバ敷設完了時点を2010年とし(その後更に,2005年に前倒しされた),国策としてもこれを断固推進する,との強い信念が,政策にも反映されていた.

 だが,1995年ごろから,かのNTT分割論議が本格化し,いわゆる「国内」「公正競争論」の中に,すべてがのみ込まれていった観がある.そして,驚くべきことに,こうした分割論議とその後今日に至るまでの一般の風潮において,「技術の視点」が,不当な矮小化を受けていったのである.

 ここで,「フォトニックIPネットワークは人類の幸せのために」との,本号の特集にとって,最も重要な問題に突き当たることになる.それは,インターネットの時代に「国内」「公正競争論」がすべてであるかのごとき風潮が支配的になるという,ここ数年の流れにおいて,将来に向けた情報通信ネットワーク高度化に関する,すべては「人類の幸福のために」,という目的意識までが薄れ,あたかも「市場競争万能」ですべてが片付けられるかのごとき理解が,支配的になってきた,という「事実」である.

 もっといえば,「人類の幸福」というからには,個々の人々がどこに住んでいようが,また,どんな境遇にあろうが,変りなくすべて平等に,将来的なネットワーク高度化の恩恵に浴することが,その前提となるはずである.だが,ここ数年の日本での一般の認識において,果たしてこの点が,当然の前提として自覚的に,どこまで意識されてきたといえるのか.この点は,はなはだ疑問である.

 もとより,常に「世界」を意識した技術開発とその具体的な成果が,この間においても着々と進められていたことを,我々は忘れるべきではない.既述のVI&P計画がまさに世界を動かしたこととの関係で,NTTの技術開発成果を例としよう.1998年のNTTの技術によるFTTH (Fiber To The Home)のITU(国際電気通信連合)における国際標準化,2000年3月に内外で報道されたIPv6の世界初の商用化,WDM (Wavelength Division Multiplexing:波長分割多重)のコア技術たるAWG(アレー導波路)の世界に先駆けての開発を前提とする,2001年1月の世界初1,000チャネル規模AWG開発,同年5月の世界初2テラ(テラは1兆)ビット毎秒レベルの光MPLS (Multi-Protocol Label Switching)ルータの開発,そして従来から世界をリードしてきているNTTの光ファイバ製造技術・光コネクタ等々の技術等,更にはNTTドコモの第3世代(3G)から第4世代(4G)に向けた携帯電話技術の開発等々,枚挙に暇がない.

 これらは,まさに「世界」を常に意識した明確な長期戦略に基づく技術開発成果である.だが,ここ数年の日本国内において,経済低迷期にもかかわらず着々となされてきた,こうした世界的,かつ具体的な技術開発成果,つまりはその実績を,どこまで精確に評価し,それを前提とした一連の論議がなされていたといえるのか.そこが問題である.むしろ,一般の風潮は,こうした「技術の視点」にあえて背を向け,あるいはそれを意識的に無視し,NTT対NCCs (New Common Carriers:新規参入電気通信事業者)の「公正競争論」にばかり,暗い光を当ててきたではないか.一方ではIT立国を目指すとしながら,真の「技術の視点」をないがしろにしたIT論議の横行とそれがもたらす矛盾に満ちた政策決定 ―― それが現実の日本の姿だった,と私は断言する.日本全国1,000万世帯には「超高速」の光ファイバを,残り3,000万世帯には「高速」のその他の技術を,とするIT戦略会議報告以来の(2001年3月のIT戦略本部決定のe-Japan重点計画を含めた)方針は,既にして「すべての人々」を「平等」に扱うという前提を棄てた上でのものである.しかも,そこに更に,「地域格差」の一層の拡大,すなわち加入者系光ファイバ敷設における極端な大都市への集中の実態と,都道府県別で見た場合の,加入者系光ファイバのカバー率における,東京58%〜奈良15% (NTTの1999年末現在の都道府県別敷設実績の最高と最低)という格差の,更なる拡大がのしかかる.

 かくて,一方では真の「技術の視点」に背を向け,他方において「地域格差増大」等の社会的問題をも意識的に直視しない,という昨今の日本での論議の現実――そこにおいて「フォトニックIPネットワークは人類の幸せのために」という本号の特集のタイトルが,いかなる意義を有し得るのか.それが単なる「お題目」にならないためには,根本的な意識改革が必要である.日本の中においてすらそうであるのだから,なおさらである.そして,そのためには,技術者が自らの世界に閉じこもることなく,堂々と対社会的発言をし続けていくことが,必須である.国民には,本当のことが,ほとんど何も知らされていないのだから.



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