■2. 5 人 の 研 究 者

 私は島津製作所という分析機器メーカに勤めております.その仕事は質量分析装置システム全体を新しく設計構築することでありまして,今回のノーベル賞に選ばれました「生体巨大分子の質量分析におけるソフト脱離イオン化法の開発」は,その仕事の一部でしかありません.1980年代当時,これから御紹介する私を含めました5人が各々の部分を開発担当しまして,その中で私が,試料調製とイオン化を担当しておりました(図1).イオン化技術のみが優れていても,それ以外の技術が備わっていなければその成功を証明することはできなかったわけです.それでは,イオン化技術以外でどのような技術開発が行われたかをまず御紹介致します.

図1 質量分析方法概略説明Schematic of Mass Spectrometer

図1 質量分析方法概略説明Schematic of Mass Spectrometer


 2.1 重さで選別

 質量分析はもうよく御存じとは思いますが,作り出したイオンを何らかの方法で質量ごとに分離して測定します.その一つがイオンの飛行時間を測定して質量ごとにイオンを分離する,飛行時間型質量分析方法(Time of Flight Mass Spectrometry)TOF-MSでございます.図2がTOF-MSを最も簡単に説明する図でありまして,電荷量の等しいイオン,M1,M2,M3がある瞬間,同じ時刻に同じ位置で発生したとします.M1が一番軽いとしまして,イオンはV0の電位で発生してzV0という位置エネルギーを持っております.もし,すべての位置エネルギーが運動エネルギーに変ったとしますと「エネルギー保存の法則」によりまして速度vはこういうふうに表せます.すなわち,軽いイオンほど速度が速く,先に検出器に到達します.しかし,これはあくまで理想的な条件での話です.実際はイオンは発生時には初速度,初期エネルギーを持つために同じ大きさのイオンでも到達時間にばらつきが生じます.すなわち,結果的にこの(到達時間の)幅が広くなり分解能が悪くなるというふうになってしまいます.

図2 飛行時間型質量分析Time of Flight Mass Spectrometry(TOF-MS)

図2 飛行時間型質量分析Time of Flight Mass Spectrometry(TOF-MS)

 これを解決する方法がリフレクトロン(Reflectron)と呼ばれるものですが,すなわち,質量電荷が等しいイオンが,初期エネルギーを含めたエネルギーが異なっていても検出器に同時に到達するようにすればいいわけです.具体的には,飛行している途中でイオンを検出器に反射させるリフレクトロンという機構が用いられています.このイオンの方向反転機構は,初期エネルギーに関して飛行時間を補正し同質量で同電荷のイオンが検出器に同時に到達することを可能にする効果があります.エネルギーが大きければリフレクトロンの部分は余計に飛行しなければならなくて,飛行する時間が長い.そうしますとウサギとカメのような形で,結局,同じ時間に検出器に到達するというふうにできるわけです.

 今のは一般的な話ですが,もう少し詳しく話しますと振り子の原理,振り子の等時性はよく知られております.すなわち,「振り子は弦の長さが同じであれば振幅が異なっても周期は等しい」という原理を応用した理想的なリフレクトロン(従来技術)を私たちのグループで実現したわけです.弦の長さがイオンの質量数,振幅がエネルギー,周期が飛行時間にそれぞれ対応します.この方法は当時の同僚で開発者5人のうちの1人,吉田佳一によって改良・開発されました.当然のことなのですがイオンが運動すること,その解析するもとになるのはマクスウェルの方程式ですから,この同僚はそこから出発して解析して,新たな式を導き出し,性能を向上させる機構を開発したのです.電気の技術が非常に有効に使われているわけです.

 そのほかに分解能を高める方法があります.飛行時間型ではすべてのイオンがある一瞬の間に発生すると考えています.つまり,時間の幅が無限小であると仮定します.パルスレーザ光の発光時間は極めて狭い.私どもは通常窒素レーザを用いていますが,その場合は数nsです.しかしながら,レーザ強度が強い,イオン発生しきい値を大幅に超えている場合,レーザ照射停止後もイオンが発生し続ける場合があります.飛行時間型ではこれがイオンピークの幅になりまして,結局,分解能が低下してしまうというふうになってしまいます.

 これを解決する方法ですが,当時の同僚の1人,吉田多見男は,イオンが発生し終わった後にイオンを引き出すことによって質量分解能を向上させることに成功しました.これは,すべてのイオンが発生するまでの間はイオンを引き出さない.どうするかといいますと試料プレートとこのグリットの間を同電位に保ちます.イオンは動かない.このイオンが全部出終わった後,一定の時間後に坂道を作る.そのようにしてすべてのイオンが同時に引き出されることによって分解能が高い状態で測れるようになりました.

 この技術は,この後,1980年代以降大きく発展しまして1990年代後半には飛行時間型にはなくてはならない技術となっています.にもかかわらず,なぜその当時,開発を継続しなかったかと思われると思います.私たちはその当時,実際に分解能が良くなったのに2,3倍程度では大したことはないと思ってしまったわけなのです.日本ではこういった例が非常に多いのではないかと思います.せっかくいい方法を開発しておきながら,埋もれた技術,特許が多いのではないか.私も含めてなのですが,日本人はとかく自分たちがやっていることは大したことないと思わされるように訓練されているのではないかなと.

 しかし,最良の判定者というのは,やはり実際に使う人たち,ユーザであります.私はメーカの人間ですから特にそう思うのですが,独断で決めてしまってはいけないのではないか.私自身,東北大学出身で,特に工学部では「実学を重んじる」ということで有名なのですが,この良き伝統をもっと生かす必要があるのではないかと,今,現在もそう思います.



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