2. ヒューマンセンタードデザインのあけぼの

 そこに登場したのがユーザビリティ工学(Usability Engineering)(1),(2)や人間工学(Human Factors Engineering),認知工学(Cognitive Engineering)などの人間関係の諸分野から登場した人間中心設計(Human-centered Design)のアプローチである.

 マン・マシンシステム(Man-Machine System)という言い方があるが,この考え方はマンとマシンの組合せによって一つのシステムが形成されているという認識に基づいているという点では適切であった.しかしその取組み方はテーラー主義(Tailorism)(用語)に近いものであり,例えば生産システムであればそれをより効率化して生産量を上げよう,戦闘機であれば人がすっぽりと収まり視認性が高く攻撃操作が的確に行えるように設計しよう,という発想に基づくものであった.人間工学には労働科学(Ergonomics, Science of Labor)という言い方もあるが,どちらかといえば当時の労働科学は人間のあり方に対して積極的に取り組むものではなかったといえる.言い換えればそこで生活をし,労働や作業をする人間の満足感を目標にしたものではなかった.

 こうしたアプローチによって,その当時の人間工学では人間の身体特性,感覚特性,生理特性などを調べ,機器やシステムのインタフェースをそれに適合させるように努力を続けてきた.情報機器の発達と普及によって,機械的なハードウェアのインタフェースからソフトウェアのインタフェースへと検討対象が広がってきても,基本的なスタンスには大きな変化はなかった.ソフトウェアインタフェースでは,特にディスプレイにおける情報の表現が重要であり,それがいかに使い手によって認知され,結果として不適切な理解やエラーを引き起すかが認知科学の知見を用いながら検討された.その結果,適切なメニュー表示のあり方やWebのナビゲーションを最適化する方向が見いだされてきたが,基本的なスタンスは前述の人間工学と同じだったといえる.

 機器やシステムに対する人間の不適切な理解やエラーという問題がどのようにして発生するかを調べ,その対策を考える取組みとして,特に1990年代になってユーザビリティ工学が発達してきた.その立場はどちらかというとマンマシンシステムの効率向上というよりはユーザのため,ユーザが仕事をやりやすくするため,というものであった.それは1980年代に起ってきた「使えないコンピュータ」に対する反省がベースになっていたからだといえるだろう.

 しかし問題点の摘出と対策の検討を目標としていた当時のユーザビリティ工学は,評価活動をその中心としていた.言い換えれば,製品の設計が終盤に近づいた段階でユーザビリティに関するバグ摘出をし,それを設計区にフィードバックする,という活動が中心だった.しかし,評価を中心にしたそうした活動は,問題点を指摘されてもその段階ではもう改善している時間的余裕がないことが多く,また設計者からは自分たちの設計内容に対する欠点探しをされているような受け取られ方をすることが多く,しばしば現場で壁にぶつかることが多かった.

 それ以上に困難な壁は,そうしたユーザビリティ評価をやって売りにつながるのか,という問題提起だった.機能や性能の向上に寄与してきたという自負のある設計者や管理者にとっては,ユーザビリティというのは使ってみないと分からないものであり,店頭効果に乏しく,結果的に売上げには貢献しないものと判断されたのだ.もちろん設計者や管理者としてもユーザビリティを良くすることに異存はなかったのだが,設計者がきちんと考えて設計をすればそうしたユーザビリティの問題は起きないはずだ.そのために評価を中心としたユーザビリティ活動は不要だ,という信念も蔓延していた.

 このような事情で,当時のユーザビリティ活動は,その意義を十分理解されることなく,その存続さえ危ぶまれるような状況にあった.時には開発の手が足りないからと,その仕事を手伝わされることもあったほどである.こうした中で,ユーザビリティ関係者は,どうしたらもう少し積極的な形での貢献ができるかを模索していた.ISO13407が登場したのはちょうどそうした時期だった.

 

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