5. 未来は分からない

  森嶋氏は「大国の興亡」のように,日本の技術開発力には触れていない.このように21世紀の日本を悲観的に考えるのも寂しいが,未来の予測は難しいことも述べている.この節では文献(2)の見解と併せて紹介する.

   「日本はなぜ行き詰まったか」
  上からの資本主義(国家資本主義)から下からの資本主義(競争資本主義)の移行にてこずった日本経済は,2050年にはどのような程度の没落を経験しているかを明らかにするとして,次の記述がある(324ページ).

  予測は本来,主観的であるから,できるだけ慎重に行わねばならない.例えば,1930年の金融大恐慌の最中に誰が1982年の繁栄している日本を予想することができたであろうか.(中略)したがって私は以下で経済予測はしない.その代り私は2050年にどうゆう社会が日本に生じているかをまず考え,つぎにそのような社会がどんな経済や文化を作りうるかを以下において考える.

 この結果得られたのが,日本は「生活水準は相当に高いが国際的には重要でない国」になっている,という先の予測である.1930年の金融大恐慌から1982年の繁栄が予想できないのと同じように,例えば2004年の衰退期のローマに似た日本から2050年のハイテク国家は予想できないのではないだろうか.

   「ヒトはなぜヒトを食べたか」(2)
  これは南米のアステカ族が人を生けにえにするのを扱った本である.著者の専門は「文化唯物論」だそうだが,この本の最後の部分を次に示そう(291ページ).

  ダーウィンの自然淘汰原理を指針とする科学者は,魚類―爬虫類―鳥類という適応の因果連鎖を容易に再構成することができる.しかし,原始的なサメを見てハトを予見できた生物学者がいるだろうか(中略).

  進化論的変化は完全に予測できるわけではないことから,この世にいわゆる自由意志のはたらく余地があることは明らかである.現行の秩序を容認するか拒否するか変革するかといった個人の決定は,それぞれ進化において特定の結果が生じる可能性を変化させる.(中略)運と技とで結果が決まるすべてのゲームと同様,人生においても,歩の悪い状況への合理的な対応とは,もっと懸命にやってみることなのである.

  生物の進化という物理現象に対しても,「現行の秩序を容認するか拒否するか変革するかといった個人の決定は,それぞれ進化において特定の結果が生じる可能性を変化させる」のである.「日本との技術開発競争の熾烈さはソ連との政治および軍事競争の比ではない」,というくらいの危機感をもってすれば,国家資本主義から競争資本主義への移行に50年は要しないのではないか.

 

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