「信濃なる千曲の川のさざれしも,君し踏みてば玉と拾わん」
この歌の作者は,“さざれし”が,もはや“君”(シンボルに対し,一般に 当体)と不可分な存在になったことを詠んでいる.実はこの不可分の関係こそ, シンボルの本質である.もともと“シンボル”は,ギリシャ語のシュンボロン に由来し,二つに切断された断片のことを意味する.この歌の作者の手元に, 仮に,千数百年がタイムスリップして,シミュレーションロボット型のハイビ ジョン映像の“君”が与えられた場合,作者は,勿論,大きな喜びを得るであ ろう.しかし,豊かな心性を育むという点においては,当体とシンボル間には 適切な距離が必要,と筆者は思う.生き生きとした“君”の映像が常に作者の 手元に置かれるというような状況になると,作者の真理には微妙な変化がもた らされるのでは,と思う.この例に限らず,一般に当体とシンボルとを隔てる 適切な“差”が,人類の長い歴史の中で人の心性を発展させてきたのではない か.例えば,積み木を重ねて,これを自動車と見たり,あるいは家と見たりし た幼児期の行動を誰しもが記憶しているであろうが,実は,こんな行動が人の 心に豊かな創造性をもたらす源泉であると思う.この意味で幼少期におけるテ レビ映像等の接しすぎには危険な要素が孕まれていることを考えねばならない.
万葉の歌人,大伴家持は,コミュニケーションに人一倍こだわっていたよう に思う.例えば,
「百千度,恋うというとも諸弟らが練りの言羽を我は頼まじ」
はまさにそれである.坂上大嬢の愛の想いは,諸弟らによって,如何に飾られ て伝言されても,それが伝言である限り,当体“愛”に対する良きシンボルと しては認め難いことを彼は主張している.
ところで,この歌に使われている“言羽”が“言葉”に改められたのは平安中 期の桂本によるが,家持は言葉は散り落ちる葉っぱではなく時空を越えて人の 世に羽ばたきつづけるものと考えていたと思う.将来の情報ネットワーク,す なわち近未来の“人の世界”に美しき“ことば”が永遠に羽ばたき続けること を祈念したい.