しかし,技術開発の世界では,評価はそう簡単に決まるわけではない.昔は, ハードウェアの付録にソフトウェアが付いてきていた.今は全く逆で,ハード ウェアは,ただ同然のものまで出現している.このような状況の変化もあって, 最近私の周辺では,ソフトウェア研究とハードウェア研究のバランスについて 議論することが多い.ハードウェア研究に偏重に過ぎているのではないかとい う主張が大勢を占めている.私も賛同する部分が多い.
プロセッサやメモリなどハードウェア技術の進展によって,多くの技術的問 題,特にサービスにかかわる問題がソフトウェアで解決されることが多くなっ ているのは事実である.結果的には,余り儲からないハード生産は海外に移行 し,国内ではソフトウェア開発の比率が増えている.技術者の求人状況や本誌 の求人欄もこのような世相を如実に現している.
確かにソフトウェア技術は,多くの応用技術を生み出してくれる.また,ハー ドウェアでは解決し難い問題を一気に解決してくれることもある.私は,ソフ トウェア技術に接した経験は非常に少ないが,30 年程前に FFT の手法を論文 で読み,早速,二次元フーリエ変換で計算機合成ホログラムを作ってみた.計 算結果を丹念に製図して光学的に再生し,画像がくっきりと出現したときの感 動は今も忘れられない.
しかし,ソフトウェア万能という世の風潮が,技術のバランスシートとして 適正な状況にあるのか疑問に思っている.ハードウェア技術は画期的なものが 頻繁に出現するわけではないが,ひとたび世の中に広がると,それまでの技術 構造を変えてしまうこともある.両者への資源配分や研究結果のバランスシー ト監査方法を改めて考える必要があると強く感じている昨今である.