The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers


“評価”,“ランキング”ばやり

編集理事 宮原秀夫

 最近では最も強力だといわれているウェブの検索エンジンgoogleで,“大学,ランキング”と入力してみると,直ちに全米の大学ランキング表が現れる.それ以外にもアジア地域での大学ランキングなど,実に多くのページがヒットする.最近,我が国の大学においても,これらの言葉があちらこちらで口にされるようになっている.その原因は,大学における評価の重要性が認識され始めているためである.それに伴って,過去の学術雑誌や国際会議での発表論文件数及びそれらの引用数(citation index),影響度(impact factor),科学研究費などの競争的資金の獲得額,企業等との共同研究による外部資金導入額,招待講演数,などなど多くのデータの提出が要求されるようになっている.評価は,これらのデータをもとに行われようとしているのである.一般に“評価”には,“自己評価”と“外部評価”とがある.自己評価とは,あるあらかじめ定められた項目に従って自己を評価し,その結果を反省材料として,自己改革につなげようとするものである.一方,外部評価は,企業や他大学から評価委員を招き,教育研究などのアクティビティの評価を依頼するものである.社会の大いなる支援のもとに成り立っている大学にとって,厳正な外部評価を受けて,その結果を社会に公表することは,大学で行っている教育研究活動のアカウンタビリティを示すものとして極めて重要であることは疑う余地がない.

 大学は,これまで評価を十分に行ってきたかと問われれば,残念ながら答えはノーである.しかし,それでは,大学が国民や社会に対して負っている責務を果たしているとはとうていいい難い.

 このような反省のもと,大方の大学人は評価の重要性を再認識し,様々な評価システムの構築に動いている.例えば,国立機関である大学評価・学位授与機構による教育や研究面での大学評価事業が,幾つかの国立大学で既に開始されている.また,教育方法や内容を評価し,卒業生に対して一定の品質が保証されていることを認定しようとする試みである日本技術者教育認定機構(JABEE)の活動も活発化してきている.評価を受ける大学にとっては,競争原理が働き,大学の改革,活性化につながることにもなり,“評価”には一見何も問題がないように見える.

 しかし,これらの動きには,多くの問題を含んでいることも事実である.“評価”の後には“ランキング”が控えている.評価データをもとに,研究分野,更には研究者のランキング付けが行われるということである.実際,今行われようとしている大学改革という名の中で,評価結果に基づいて校費(国からの研究費)の傾斜配分を,更には研究者個人の給与算定までをも視野に入れるべきとの声も聞く.仮に,論文数によるランキング付けが横行すれば,採択率の高い(レベルが低いかもしれない)論文誌や国際会議への投稿が増えるといった好ましくない事態も予想される.大学には,論分数や外部資金受け入れ額などだけでは決して評価できない研究分野が多く存在する.すなわち,一元的な評価基準では決して評価できない,大学でしかできない重要な研究が多くあるということであり,これらの研究が大学の存在を意義付けているといっても過言ではない.米国のある有名大学教授が“我々のところでは,citation index,impact factorなどのデータは気にしたことがない”,“citation indexは,教科書,サーベイペーパー,通常の技術論文の順に高く,impact factorは雑誌発行元が決めた数値にしかすぎない”と言っていたことを思い出す.今後,ますます“評価”が重要になっていく方向にあることは間違いない.しかし,どのように評価を行い,その結果をどのように使って大学における教育研究の向上につなげていくかは,これまで評価自体に不慣れであった我々にとって大きな課題である.


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