The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers


山車からくりから見えるもの

副会長  稲垣康善

 私の住まいの地につながる話から始めることをお許し下さい.日本の機械時計は,ポルトガルの宣教師フランシスコ・ザビエルが周防の大内氏に献上したのが最初といわれます.その後,朝鮮使節から献上された家康所蔵の時計が故障したとき,津田助左右衛門が修理を引き受け,そっくり同じものを作り上げました.これが縁で,助左右衛門は,尾張初代藩主義直の家来となり,御時計師鍛冶職頭として,その子孫に時計の技術を伝えました.

 高度な精密機械である和時計を手作りする技術は,優れた木曽の材木に恵まれて,「からくり」の技術に伝播しました.京都から移り住んだ人形師玉屋庄兵衛によって名古屋は山車からくりの中心になりました.現在,九代目玉屋庄兵衛氏が活躍中です.我が国唯一のからくり人形師です.

 今でも,高山,犬山,名古屋,半田亀崎と,祭りのときになると,からくり人形が山車の上で優雅に舞います.これらの町は,高山からまっすぐ南に知多半島につながる線の上にあります.からくり人形街道と呼んでみたいと思います.

 和時計というと,山本七平氏の日本文化和時計論を御存知の読者も多いと存じます.振り子の等時性の原理に基づく機械時計はヨーロッパで発明され,日本に入ってきました.そのとき,江戸時代の「時間」は,「生活時間」でした.日の出前の薄明るくなったときを明六つ,日の入り後の夕暮れどきを暮六つとして,それらを昼夜の境目とし,明六つから暮六つまでの昼の時間と,暮六つから明六つまでの夜の時間をそれぞれ6等分して,1日を12刻に分けていました.このようにすれば,春夏秋冬を問わず暮六つといえば,夕暮れどきです.しかし等時性を元にした時計ではそうはいかない.江戸時代の日本人は,昼夜の境目で振り子の腕の長さを自動的に変える仕組みを作り出し和時計としました.このことによって,人は等時性という時間に自らを無理に合わせるのでなく,自然の変化に従った生活に合った時間を手にしていました.ワープロが普及し始めたころであったから,それともども日本文化の典型であるというのです.これが日本文化和時計論です.

 その後,明治になって,太陽暦を採用し,等時性の時間で暮らすようになりました.これは,国を開き,欧米の先進諸国と肩を並べようとすれば避けられないことだと思います.聖徳太子が十七条の憲法を定めたのは,隋の国と対等に付き合うためであったと教わりました.

 しかし,日本のワープロは,世界の国々がそれぞれのワープロをそれぞれに作れることを示してみせたと思います.中国語ワープロ,韓国語ワープロ,タイ語ワープロ,などなど.コンピュータで処理するには英文字アルファべットがよいからと,すべてローマ字表記にするとの議論が起きたとしたらどうなるでしょう.実際我が国にはローマ字運動があり,物理の教科書がローマ字で書かれたり,啄木がローマ字で文章をものしたりしましたが,今はそんなことはありません.しかしそんなことになったらと想像するだけでも恐ろしい気がします.地球上の文化の多様性を認め,保つことは,地球環境保全と同じように大切です.ワープロは,大げさな言い方かもしれませんが,それぞれの文化を守ることに大きな貢献をしたと思います.

 昨今,グローバリゼーションという呼び声のもとに乱暴にも何でも一つの基準で物事を処してしまおうとする議論に戸惑いを感じるのは筆者だけでしょうか.科学技術は,元来普遍的なものですから,どこでもそれは通用しますが,しかしそれを用いる人々になじみのよいものでなくてはなりません.生活に密着している白もの家電は,その地の文化に合わないとだめですよと言われたのを思い出します.

 現在は,新しい技術が次々と生まれ,変化の激しい時代です.殊に情報通信技術分野は技術革新のスピードの速い分野です.それら技術の素性をよく見極め,その地のニーズに合ったものに育て上げねばならぬのか,あるいは,グローバルスタンダードとして取り入れねばならぬのか,よく吟味して,この激動の時代を前進していきたいものです.


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