The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers


論文と特許

企画理事 河内正夫

 学生時代,研究室の指導教官から「実験をしても結果を論文として残さないのであれば,何もせずに寝ている方がよい」と言われたことを今でも思い出す.

 修士課程を修了して当時の電電公社茨城電気通信研究所に就職すると,論文を巡って様々な考え方があることを教えられた.研究者としては「論文発表によって世界に認められたい,博士号を取得したい」などの欲求があるのは自然なことであるが,実用化サイドの研究所や事業部門からは「ノウハウの流失を抑え,発表には節度を持ってほしい」,経営幹部や更に一般株主からは「ノーベル賞級の論文発表による企業イメージ向上は歓迎であるが,実用化関連技術は社内にとどめて企業利益の追求を」などの声も聞こえてこよう.ハイテク企業としてのトータル価値を最大にする上で,どの程度の論文発表をするのがよいのか,しない方がよいのか,明確な基準があるわけではない.

 ともかく論文発表に先立ち特許出願を済ませておくことは企業に属する研究者として初歩的なことである.最初のころは,ラフな特許出願の直後に論文発表してしまい,後に自分で自分の首を絞める事態になってしまった経験もある.失敗も含めて経験を積んでくると,特許出願をしても,そのアイデアや技術が本命と思えば,しばらくは外部発表を我慢して,一年後に実施例の充実を含めて明細書を補強して再出願(国内優先権主張),これに合わせて外国特許出願をする知恵と余裕も身に付いてくる.また,論文の世界と特許の世界ではロジックが異なることも学び,抜け目のない特許明細書草案を書けるようになる.

 こうして特許出願を固めた後に,まだまだアイデアや実験結果が色あせていないことを信じて論文投稿の運びとなる.その後,幾多の困難を乗り越えて製品化や実用化が進むと(めったにないが)企業から相応の特許実施補償金をもらうところまでこぎつけることができる.自分がかかわった発明に基づく製品や技術が内外で活用され,特許実施補償の表彰を受けるのは,論文数のレベルを越えた素朴な喜びである.虎の子の補償金を税務署に確定申告すると,まずは所得税を追加徴収され,更に毎月の市町村民税も増えてしまうが,これは我慢である.

 企業によっては,特許出願もせずにノウハウとして守秘管理し,競争相手が気付いて追いかけてくる前に製品としての販売実績を上げてしまう作戦のところもあるし,特許出願するが論文発表は一切行わず,製品展示会と最終製品で勝負というところもある.しかし,学会で論文発表を行うのが大学と公的研究機関のみになってしまうのも寂しいものである.他機関の論文発表は参考にするが,自らは論文発表を行わない方が,一企業としては得な戦術なのかもしれないが,そんな企業ばかりになってしまうのも心配である.企業体としての存続と利益を考えると,論文発表までに期間を置く,あるいは半永久的に公表しない部分があることはやむを得ない.それでも,特許対策を済ませ,ノウハウの過剰な流出を抑えつつ,可能な範囲で研究成果を論文として公表し,関連する学術振興にも貢献してほしいものである.もちろん,企業の利益の一部を税金として納め,大学や公的研究機関からの論文発表に間接的に資するのも立派なことではあるが.

 ビジネス競争が激化する中で「学会誌よりも事業貢献」が世界的なすう勢であるが,ポテンシャルのある企業の研究者と技術担当幹部の皆様には,是非,論文と特許の二兎を追って頂きたいものである.


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