The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers


“事実”と“真実”の違い

 副会長 鈴木滋彦

 ニッポン放送の経営権をめぐる,いわゆるホリエモン事件で,ジャーナリズムを否定するかのごとき発言があり,ジャーナリズムから反論があったことは記憶に新しい.確かにインターネットの普及で,世界中の,様々な情報が簡単に手に入るようになった.最近では,日本でもネット上の日記風サイトであるブログが広く利用されるようになり,メディアに携わるプロの情報発信者からでなく,一般の人の目から見た情報をリアルタイムで知ることができるようにもなった.イラク戦争のときに,CNNの報道とは別に,メディアの入らない場所での現地の生活者からの生々しい情報もブログで知ることができたことがニュースにもなった.

 確かに便利になった.ただ,ここでよく考えねばならないのは,“事実”と“真実”は違うということである.歴史小説家は,文献の中からの取捨選択した歴史的事実からイマジネーションを膨らませて,フィクションとしての歴史小説を創造する.私の好む,司馬遼太郎,宮城谷昌光,池宮彰一郎などは,それぞれの歴史観で“事実”を取り上げ,独自の物語を作り上げる.小説の真価は正にそこにあると思う.しかし,リアルな世界での情報はそういうわけにはいかない.その情報によって我々の考え,行動が決まるのだから,物語ということでは済まされない.

 そこで真のジャーナリストは,限りなく“真実”に肉薄すべく,“事実”を追い求める.そして視聴者は,提供された“事実”の積み重ねから,“真実”をイメージする.しかし,かつての大本営発表のように,都合の良い“事実”だけを見せられると,情報を受け取った方は誤った“真実”をイメージする.例えば,「敵戦闘機10機撃墜,駆逐艦2隻撃沈」という報道だけを聞かされれば,我が方は勝っていると思うだろう.たとえその裏に,「こちらの戦闘機が全滅し,戦艦が撃沈されている」という“事実”があったとしても,である.したがって,インターネットが普及すればするほど,“真実”を追究する志を持った真のプロのジャーナリストの存在が必要だし,情報の受け手側も,洪水のようにあふれかえる情報を選別する能力が問われる.そのためには情報に振り回されることなく,周りの主張に惑わされることなく,自分の意見を持つという“個”を確立することも必要である.“個”が確立していない大衆を,ネットによって如何に簡単に操作できるかは,上海での反日デモを見れば明らかである.日本でも,同様なことが起り得る.そのためにも,これからの社会を支える子供たちの初等・中等教育の重要性は,“個”を確立する上で過去の比ではないと思う.

 学問の中でも特に工学は,実験などによる様々な“事実”の積み重ねから,“真実”に迫ろうとする学問である.都合の良い“事実”だけを抜き出し論文を書いても,新しい“事実”の発見によって論理を否定されてしまえば学会での信用を失ってしまうため,工学を専攻する研究者やエンジニアが真実に迫ろうとする姿勢は,真のジャーナリストと変らないだろう.当学会はそういう学問を学んだプロの集まりであり,少なくとも“事実”と“真実”の違いを知った上で“真実”を追究する組織だと思う.情報通信を専門に扱う当学会は,このような情報ネットワークの持つ利便性,効率性とともに,その裏に潜む危険性についての子供たちに対する啓発・教育活動,広い意味の情報リテラシー向上に貢献することを求められているのではないだろうか.


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