The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers


コミュニケーション装置としてのヒトの目の進化

電子情報通信学会誌Vol.82 No.6 pp.601-603

小林洋美、幸島司郎

小林洋美:京都大学霊長類研究所系統発生分野
E-mail hiromi@innocent.com
幸島司郎:東京工業大学生命理工学部
E-mail kohshima@bio.titech.ac.jp

Evolution of Human Eye as a Device for Communication.By Hiromi KOBAYASHI, Nonmember (Primate Research Institute, Kyoto University, Inuyama-shi, 484-8506 Japan) and Shiro KOHSHIMA, Nonmember (Faculty Bioscience and Biotechnology, Tokyo Institute of Technology, Tokyo, 152-8551 Japan).

  ヒトのコミュニケーションにおいて目は重要な役割を担っていると考えられるが,その外部形態そのものに注目した研究はほとんどなかった.D. Morris(1)は,白目(強膜)が露出している点で,ヒトの目は霊長類としては異例な外部形態を持つと指摘したが,その真偽さえ検証されていない.そこで,ヒトの目の外部形態の特異性を定量的に明らかにし,その適応的意味を検討するために,現生種のほぼ半数に当たる,霊長類約 88 種について目の外部形態の比較を行った(2).
 強膜の露出度(露出眼球部の横長/角膜横径),眼裂(目の輪郭)の横長度(目じり目頭間距離/上下瞼間距離),強膜の色彩の各指標を測定し比較した結果,ヒトの目は調査された 88 種中唯一完全に色素細胞を欠いた白い強膜を持ち,強膜露出度・眼裂横長度とも霊長類中最大であることが分かった(図 1).つまりヒトの目は,着色していない白い強膜が大きく露出しているだけでなく,非常に横長な輪郭を持つ点でも,他の霊長類とは大きく異なっていることが明らかになった.では,この特異な形態はどんな適応的な意味を持つのだろうか.
 強膜露出度は体サイズと相関した(図2).強膜露出度が眼球運動による視野拡大能力に関係し,視野拡大のために頭部や体軸を動かすかわりに眼球を動かすことによって節約できるエネルギーが,スケーリングの原理により,体サイズが大きくなるほど増大するためと考えた.この仮説が成り立つならば,強膜露出度の大きい種は小さい種より眼球運動による視線変更をより頻繁に行っていると予想される.そこで,採食時の霊長類の眼球運動のみによる視線変更の割合を測定した結果,大型種ほど大きく,強膜露出度と相関することが明らかとなった.これは,大きな強膜露出度は眼球運動による視野拡大能力増大のための適応的形態である,とする仮説を支持するものであった.
 眼裂横長度は樹上性・半地上性・地上性の順に増加した(図 1).地上性種は樹上性種よりも水平方向の視野拡大の必要性が高く,横長眼裂が眼球運動による視野拡大,特に水平方向の視野拡大能力を増すための適応的形態であると考えればうまく説明がつく.そこで地上性種と樹上性種で摂食中の個体の注視方向と注視時間を計測し,注視時間と視線変更頻度の水平/上下比率を比較したところ,注視時間や視線変更頻度の水平方向への偏りは,樹上性より地上性種で有意に高く,眼裂横長度と正の相関を示した.この結果は,眼裂が横長になると,水平方向の視野拡大能力が増大するという考えを支持するものであった.
 今回調査した霊長類 92 種中,全く着色のない白色の露出強膜部分を持っていたのは,ヒトのみであり,その他の霊長類の露出強膜部分は茶色に着色していた.着色強膜を持つ眼球の切片標本を顕微鏡観察したところ,角膜縁の角膜上皮・結膜上皮・強膜に茶色色素が存在していることが明らかになった.茶色色素を作り出すにはコストがかかることから,この着色には何らかの機能があると推測された.この機能に関しては,これまでに抗散乱光説と視線隠ぺい説の二説が提出されている.着色強膜は余分な散乱光を防ぐとする抗散乱光説は,夜行性の霊長類にも強膜着色があり,昼行性のヒトに着色がないことが今回の調査で明らかになり,少なくとも霊長類には適用できないことが分かった.次に,着色強膜には,同種内他個体や捕食者に対して視線をカモフラージュする機能があるとする視線隠ぺい説を検討した.強膜の着色が視線隠ぺいの機能を持つならば,その色彩は,顔の中での眼裂と眼裂の中での虹彩の位置を不明りょうにする色彩パターンの一部となっていることが予想される.そこで,強膜色と虹彩色・皮膚色の関係を調べた結果,ヒト以外の霊長類のほとんどは,強膜色と虹彩色が似ていた.更にそのうちの半数以上の種は強膜色と皮膚色も似ていた.これは,着色強膜の視線隠ぺい説を支持する結果であった.また,白い強膜を持ったヒトの目は,他の霊長類の目とは逆に,強膜色は虹彩色・皮膚色と明らかに異なり,眼裂と虹彩の位置の両方が明確で強調された目であること,つまり,ヒトは霊長類の中で,唯一視線を強調する色彩パターンの目を持っていることが明らかになった.
 本研究の結果から,特異な形態を持つヒトの目が,いかにして進化したかを説明する進化的シナリオが浮かび上がってきた.ヒト祖先種は森を出て完全な地上性生活者となり,体が大型化するにつれて,眼球運動による視野拡大,特に水平方向の視野拡大の必要性が高まった.目の強膜露出度と横長度が霊長類中最大になったのは,このような視野拡大の必要性への適応の結果と考えられる.更に,眼球運動による視野拡大の必要性から生じた眼球の大きな可動性が,露出強膜の白色化という小さな変化で,視線コミュニケーションの可能性を飛躍的に高めたと考えられる.ヒトが霊長類の中で唯一,視線を強調する色彩パターンの目を持つに至ったのは,体の大型化や道具使用よって捕食者に対する視線カモフラージュの必要性が低下し,逆に小集団での狩猟・採集という共同作業のために同種他個体との互恵的協調行動の必要性が高まったためだろう.霊長類の中で例外的なヒトの目の外部形態は,ヒトと他の霊長類間には,言語に代表される音声コミュニケーション能力だけでなく,視線コミュニケーション能力にも大きなギャップが存在することを示していると考えられる.今後,このような視点に立った眼球運動の測定や目によるコミュニケーションや表情の分析が望まれる.
本研究の成果は,ヒトという動物の生物学的理解を深め,ヒトの行動学,心理学研究に一石を投じるばかりではなく,ヒューマンインタフェースなど,応用人間科学にも有用な新しい情報や視点を提供すると考えられる.

文 献


こばやし ひろみ
小 林  洋 美
昭 62 立教大・理・化学卒.平元同大学院修士課程了.(株)桃屋研究所で植物バイオ研究,ウエラジャパン(株)研究所で製品開発研究を経て,平9東工大大学院博士課程了.理博.現在,日本学術振興会特別研究員 PD,京大霊長類研究所に所属.比較行動学・発達心理学.

こうしま しろう
幸 島  司 郎
昭 55 京大・理・動物学卒.昭 60 同大学院博士課程了.理博.日本学術振興会奨励研究員,同特別研究員,東工大・理・助教授を経て,現在,同生命理工・助教授.動物行動学や生態学の研究に従事.著書「虫たちがいて,ぼくがいた」,「熱帯雨林の生態学」など.


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