The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers


ソフトウェア無線

電子情報通信学会誌 Vol.83, No,3 pp.183-190

荒 木 純 道

荒木純道:正員 東京工業大学工学部情報工学科
E-mail araki@ss.titech.ac.jp

Software Defined Radio. By Kiyomichi ARAKI, Member (Faculty of Engineering, Tokyo Institute of Technology, Tokyo, 152-8552 Japan).

Abstract

 21世紀に向けて無線通信に関する様々な新技術が模索されている.その中の一つに「ソフトウェア無線」という技術があり,大きな関心を集めている.これは従来の無線機では考えられなかったマルチモード変復調処理,時空間領域での波形等化やフィルタリング,多重アクセス方式などの広範な無線信号処理性能をプログラムの変更だけで適応的に実現していこうとするものである.
本稿では「ソフトウェア無線」の背景,研究動向,技術課題,応用分野,標準化の流れ,将来展望などについて紹介する.
キーワード:次世代無線通信,ソフトウェア無線,無線信号処理,プログラマブルデバイス,ディジタル放送,ITS,A-D変換器

1. は じ め に

ソフトウェア無線といわれてもぴんとこないと思うので,手っ取り早く次の文章を読んでこれをイメージしてもらいたい.
近未来SFとまではいかないが,次のようなことは十分想定されると思う.

  「ソフトウェア無線端末を内蔵したA5サイズノートパソコンを持って北海道に出張したS課長の日記」
**西暦2010年○月△日**
先月,ソフトウェアダウンロード方法の変更ソフトがウェブにあったので,それを取り込んでから出かけることにした.移動は飛行機なので,さすがに無線装置は使えない,困ったものだ.早く何とかして欲しい.十年前と何ら変っていないじゃないか!
現地に着いたが,打合せ予定時刻まではまだ時間がある.取りあえずメールをチェックすることにした.エアチェックプログラムを走らせ,最も安く高速でメールサーバにアクセスする方法を探ることにした.
ソフトウェア受信部がいろいろな変調方式,周波数のプログラムをローディングしながら使える方式をチェックしてくれる.移動もしていないのでPHSの64kbit/sの速度でアクセスするのが最良といっている.ふむ,ふむ.
OKをしてメールをダウンロード,絵の情報があったものの結構高速に完了した.ついでにGPSプログラムも動作させて,今いる位置と標高をチェックしてみた.結構,北にいる.この緯度経度をもとに,ウェブから地図をダウンロードし,安くて美味しそうな料理店を見つける.夜はここへ行ってリフレッシュしよう. 打合せ中にその内容もワープロ文書にしてしまったので,終ると同時に参加者に配布する.ついでに上長にもメールしておいた.これで,ゆっくり飲みに行ける.
次の日,移動は開通したばかりの北海道新幹線で移動する.移動しながらエアチェックプログラムを走らせると,W-CDMAでアクセスが良いと言ってきた.料金は高いが高速なのでこれでウェブを利用して,あちこちのサイトから打合せで疑問に思ったことを調査した.高速で動いてくれるので,とても快適に検索ができる.
来月からは,更なる高速バージョンがリリースとか.ソフトウェア無線機用プログラムをダウンロードしたいものだ(注1).


このようにして,ソフトウェア無線が次世代の移動無線通信において中心的役割を果たしていくと予想されている.
つまり,ソフトウェア無線機の機能としては, などが考えられている.これは,単に従来の無線機におけるアナログ処理をディジタル信号処理で置き換えたものではなくて,送受信機能の柔軟性/適応性をとことん追求したものといえるだろう(1),(2).
また,ほぼすべての処理機能がソフトウェアで記述されているので,装置の設計仕様の変更は極めて容易となり,開発期間の大幅な短縮につながり,最終的な研究開発コストの低減をもたらしてくれるというメリットも重要である.従来,無線機においてRF部を含めてアナログ回路の占める役割は大きなものだった.しかし,RF回路などの設計,製作,調整は大変手間のかかる作業であり,それが価格上昇の大きな原因になっていた.RF/アナログ部を最小限に押さえたソフトウェア無線機によって,こうした問題を解決していく糸口が見つかりそうである(注2).

2. 歴史的な背景

──ソ連が崩壊してソフト無線が生まれた?──

 さて,ソフト無線の歴史を振り返ってみよう.意外とこれは古い歴史を持っていて(3),1970年代に軍用通信技術として米国で検討が始められている(注3).1980年代にはディジタルHF通信システムが開発され実用に至っている.最近の例では,耐妨害性に優れたマルチバンド・マルチモードの「Speak Easy」という軍用無線機システムが有名である.FMとAMをディジタル通信処理技術を利用して中継してしまうといった芸当もできるわけである(これをVoice Bridgeと称している).
もちろん,軍用通信であるので余り価格のことを気にする必要はないのかもしれないが,やはりこのようなことが自由にできるようになってきたのは,DSP技術やA-D,D-A変換器の技術の目覚ましい進展(高速化,低消費電力化,低価格化)に負っているといっていいだろう.今までは,到底無理だと思われていた技術や回路構成が逆にその長所を発揮し始めてきたのである.
そして,1990年代初頭に起きた特筆すべき出来事が,ソフトウェア無線の研究・開発を更に加速していった.
それは,ソ連邦/東欧共産圏の崩壊である.冷戦構造の終結は(民族紛争などが多発しているが),米国において大幅な軍事予算の削減をもたらした.そこで(軍事)通信メーカーは民生通信のマーケットに新たな活路を探さなければならなくなったのである.
そんな中,1995年にソフト無線の特集号がIEEE Communication Magazineに組まれ,大きな関心を呼ぶことになったわけである(注4),(3).
 それと,次世代の移動体通信システムにおいては,結局のところ世界統一ということは難しく複数の規格が「平和的共存」を図る形になりそうである(注5).その場合,マルチモード対応のソフトウェア無線機はとても魅力的である.


3. 国内外の研究動向

 米国では,Speak Easyの開発に携わってきたグループが中心となって,MMITS(Modular Multifunction Information Transfer Systems)Forumというソフトウェア無線の標準化のための民間任意団体を1996年に設立した(注6).
一方,ヨーロッパではSORT(Software Radio Technologies),SLATS(Software Libraries for Advanced Terminal Solutions),PPOMULA(Programmable Multimode Radio for Multimedia Wireless Terminals)などのプロジェクトが1990年代後半から活動を開始し,通信事業者,メーカー,大学がそこに参加している.無線ハードウェアのプラットホーム上で動くソフトウェアモジュールの開発やプログラマブルで広帯域なRF回路の開発を進めている.やはり,次世代移動体通信への導入を目標においているわけである(1),(5).
また,日本では(社)電波産業会(ARIB)での調査検討が1996年に始まり,そして幾つかのメーカーでのソフト無線機の試作などがやはり1990年代後半から発表され,次第にその技術的課題や対象とすべきマーケットが明らかになってきた(注7).
そして1997年ACTS(Advanced Communications Technologies and Services)によってEuropean Workshop on Software Radio Technologies(6)が開催されて以来,現在では通信関係の主要な国際会議(VTC,PIMRC,GLOBCOMなど)ではソフトウェア無線という話題が必ず取り上げられるようになっている.

4. 技術課題

 ソフト無線の構成を考えると,大まかに
● RF/アンテナ
● サンプリング,A-D変換
● 信号処理技術
 に分けることができるだろう(図1).また全体の制御ということで,ソフトウェア構成の検討も見逃せない(図2)(1),(7).


4.1 アンテナ部の構成

 ソフトウェア受信機が様々な無線信号の受信に対応可能というためには,アンテナ部には,不特定の周波数帯域に対応可能な特性が要求される.また,アダプティブアンテナのように,アンテナ指向性の制御(注8)を行う技術はソフトウェアによる信号処理によって実現するのが一番向いており,ソフトウェア受信機に親和性の高い技術である.
 ソフトウェア受信機の特徴を生かして,周囲環境に対して最適な構成をとることのできる「ソフトウェアアンテナ」というものも提案されている(図3)(8)〜(10).



4.2 サンプリング部の構成

 サンプリングを高周波部(RF部),中間周波部(IF部),ベースバンド部(BB部)のどこで行ったらよいか考えてみよう.BB部では周波数変換等の処理がアナログ部でなされているので,信号処理部における演算能力をベースバンドの信号処理に最大限発揮させることができる.一方IFサンプリング,RFサンプリングとサンプリングを行う段階が高周波段に近づくに従い,アナログ部の回路構成が簡易になる分,ディジタル信号処理部の負担が大きくなってしまう.
次に,サンプリング周波数と信号周波数の関係では,ナイキストサンプリング,オーバサンプリング,アンダサンプリングに分類できる.


4.3 信号処理部の構成

 ソフトウェア受信機の信号処理は,複数の異なるビットレート,変調方式に対応した復調処理,受信信号のベースバンド処理,また,アンテナのアダプティブ処理,ソフトウェア受信機全体の制御等,非常に多岐にわたっている.また,サンプリングをRF,IF,BBのどの段階で行うかにより,信号処理部の構成も変ってくるものと考えられる.一般的に,RF,IF段での周波数変換,フィルタリング等の処理は,定型的な処理であるが,高速処理が要求され,BB段の処理は,RF,IFでの処理に比べ低速でよいのであるが,ソフトウェア変更に対し柔軟性が要求される.すべての処理要求を1チップの信号処理デバイスで実現することは現状では困難であり,ソフトウェア受信機の内容に従ったCPU,DSP,FPGA,ASICの適材適所の配置が必要である(11).
また,ソフトウェア受信機の実現への技術課題としては,高速の信号処理デバイスを使用するときの消費電力の問題,信号処理速度の高速化に従い処理クロックの高調波による干渉の問題等も見逃せない.

4.4 ソフトウェアの構成

 図2にソフトウェア構成を含んだソフトウェア受信機の全体構成を示す.ソフトウェア受信機の動作を規定するには,その動作を規定するアプリケーションプログラムとそこに記述されている命令をハードウェアが理解できるように変換し,ソフトウェア受信機全体の制御を行うOSと,実際にハードウェアに対し設定制御を行うデバイスドライバが構成として必要と考えられる.また,主に通信方式,受信方式等の信号処理機能のうち,使用する頻度の高い機能をプログラム化したものをライブラリとして備えることにより,動作の変更に容易に対応できるようになることから,ライブラリも必要な構成だろう.アプリケーションプログラムが変更された場合,新たなアプリケーションプログラムに対応するライブラリが不足する場合にはソフトウェアダウンロードにより動作を完全なものとすることが考えられる.

5. 応用分野

 ソフトウェア無線の特長を生かした応用分野として
などが考えられる.これらをまとめて図4に示す.



6.標準化の動向

 既に述べたように,MMITS Forum(現在のSDR Forum)は1996年ごろから活動を開始している(注9).この団体では
を主な標準化の対象としている.
更に詳しく説明するとMMITS ForumのAPI仕様(表1)と異なるレベルでの記述がモジュール間のインタフェースに対して検討されている.
 一方,ソフトウェアダウンロードの手順としては
 @ 初期化
  ダウンロードの初期化
 A 相互確認
  ダウンロードする側とされる側でダウンロードが許されるかの確認
 B 能力情報交換
  ダウンロードするソフトウェアを走らせる能力があるかどうかの確認
 C ダウンロード認可交換
  ダウンロードするソフトウェアのダウンロード方法,スケジュール,インストール方法などについての情報を交換
 D ダウンロードとインテグリティテスト
  ソフトウェアがバッファにダウンロードされる.エラーなくダウンロードされたかのテスト
 E インストール
  ソフトウェアがコンパイルされ,インストール
 F インシチュテスト
  ソフトウェアとともにダウンロードされたテストベクタを用いて,そのモジュールだけでテストを行い正常に動作するかを確認
 G 確認交換
  ソフトウェアダウンロード成功の伝達
といった手順が検討されている.
ところで国際標準化作業を重視するということは,輸出先の規格に合わせて多種の製品を作り,品質の向上とコストの低減でキャッチアップ型の成長を遂げてきた日本企業にはなかなか難しいことかもしれない.しかし,日本が21世紀への技術立国を目指すためには,このままでは危ない状況になりつつある.ソフトウェア無線においても
● 日本発の世界標準への挑戦と
● それを支える国家レベルの産業戦略が必要だろう.

7. 将来展望


 きっといろいろな夢を描くことができるだろう.
(1) 移動通信用マルチメディア端末(ユニバーサル端末)
現行の移動通信システムにおける1基地局当りの通話エリアの大きさを図に模式的に示す.図5より,そのエリアは「衛星→PBS(ポケベル)→PDC→(IMT-2000)→PHS」の順で小さくなることが分かる.一方,ユーザ単位での伝送可能な情報量に着目すると,「PBS→衛星→PDC→PHS→(IMT-2000)」の順に多くなり,更に,料金では「PBS→PHS→PDC→(IMT-2000)→衛星」の順に高くなることが考えられる.
ユーザがシステムを選ぶ場合,自分にあったシステムを購入時に決定すると考えられるが,その後の状況変化には対応できない.一方,各事業者によるシステムは,サービスごとに不統一(変調方式,周波数,コーデック等,各種違いあり)であり,同じグループでもいろいろ亜流(バリエーション)があるため,必ずしも互換性はないことになる.
そこで,自動的に最適システムが設定可能であり,望むサービスや必要情報をその場における最小の料金で取得することができる端末(ソフトウェア無線機)が望まれると考えられる(図6).

(2) 移動通信用基地局システム
 移動通信における基地局は,位置や通信状態が時々刻々変化する移動体との間に通信路を設定し,安定した通信状態を確立するという役目を担っている.このような役目に対し,柔軟性に富んだソフトウェア無線機を適用することにより,構成の簡素化や通信性能の向上,更には加入者容量の増大など様々な効果が期待できるだろう.
既に述べたように伝送内容の制御や,アンテナの制御を包含した概念として,ソフトウェアアンテナがある(図3).環境認識部では移動通信路の状態を把握し,これを基にして最も適したアルゴリズム(伝送方式,伝送レートなど)を選定し,リコンフィギュラブルなアンテナと組み合わせて加入者との伝送路を設定する.アンテナのビーム形状,マルチパス制御,伝送方式(変復調を含めて),伝送レートなどが瞬時に最適化されれば,理想的な基地局になる.また,基地局アンテナとしてはPDC,PHS,並びにIMT-2000などの様々なシステムに共用できることが,設置スペースの低減のために要求されるが,これは,ソフトウェア受信機用機器の基本である多周波共用技術により可能となるだろう(図7).

(3) 広帯域無線アクセスシステム(図8)
(ア) P-P(ポイントツーポイント)方式
 加入者無線P-P方式は,従来の固定マイクロ多重無線装置と大差なく,2地点間を無線で接続する方式であり,ソフトウェア無線機の応用は,ソフトウェアによって様々なサービスに対応できる柔軟性を十分に発揮するということよりも,従来のハードで実施されていたひずみ保証技術,干渉抑圧技術等を組み合わせて,電波の有効利用(ある地域で繰り返し同一周波数を短い距離で使用可能とする,あるいはより狭い周波数帯域で通信路を構成して合計の周波数利用率を向上する,等々)が目的になると考えられる.
放送局への現場からの素材(生映像情報等)伝送に用いられるFPU(Field Pick-up Unit)にも共通する技術である.
 (イ) P-MP(ポイントツーマルチポイント)
 多方向の場合,通信路構成は,必要に応じて,臨機応変に変化することが求められている.例えばAWA(ATM Wireless Access, ATMを無線アクセス網に導入)方式では,多数の子局との間の伝送容量は,上り・下りとも独立で,ある子局に集中的に大容量通信路を要求に応じて割り当てることが必要となる.TDD(Time Domain Duplex,上りと下りの送信時間を交互に使う)方式の各タイムスロットは,上り・下りいずれにも使用可能であり,かつその通信方式も,各タイムスロットごとに,BPSK→QPSK→16QAM→64QAMと変化=割当可能である.現在はすべて専用ICによるハード構成となっているが,デバイスの高速化が進めば,まさにソフトウェアで実現可能となる

(4) ITS応
 マルチバンドのアンテナが情報の出入り口を共有して,必要とするスペースを少なくし,ソフトウェアに基づく信号処理(=機能の切換)によって,多様なサービスへの対応が可能となるだろう.利用したいサービスの数に比べて,それを利用する人の数(=ドライバー+同乗者)は少ないだろうから,瞬時瞬時に同時に利用するサービスの数はそれほど多くないと考えられる.このような利用形態は,様々な機能を切換(=DSPやFPGAによるソフトやハードの再構成)によって発現するソフトウェア無線機に適しているといえるのである(図9).
  以上,ソフトウェア無線機の特長である「様々なサービスが一台の無線機で対応できること」や「通信環境・電波環境の変化に対してフレキシブルに機能の変身ができること」を積極的に生かす道を探ってみた.
この実現のために共通する技術課題は,信号処理デバイス(DSP,FPGA,ASIC等)の高性能化(=大容量データの高速処理),低価格化,低消費電力化であるが,これらについては,少なくとも今後10年程度はその進展に明るい展望が持てる.このような高性能チップ開発の進展は,同時に,限られた範囲のサービスや適応信号処理に対応するだけであれば,一つまたは複数のチップを並べて,単に切り換えて使用するだけで実現でき,そのこと自体が,小型化・低コスト化のネックにならないことを十分予想させる.上述の将来像として示した幾つか(あるいはかなり)の部分において,それで済んでしまうかもしれないし,当面はそのような発展が自然の方向かもしれない.そのため,ソフトウェア無線機がその機能を発揮して活躍するサービスイメージ,あるいは,ソフトウェア無線機があることによって初めて実現できるサービスの抽出には,更に時間をかけて検討する必要があるだろう.
 既存あるいは将来予想されるサービスを,ソフトウェア受信機(無線機)で実現するという,どちらかといえば受け身の姿勢から,自由に機能が変身できる環境適応性を重視した新しい無線システム技術(何か無線通信のパラダイムシフトに通じるような)の提言といった積極的な姿勢に変えていくことが,ますます大事になろうかと思う.

謝辞

 3年間にわたり,ARIBのソフトウェア無線の調査検討に携わって頂いたメンバーの方々,そして猪股英行ARIB開発センター長,郵政省の関係各位に改めて謝意を表したいと思います.

文 献


あらき きよ みち
荒 木 純 道
昭46埼玉大・理工・電気卒.昭53東工大大学院博士課程了.東工大助手,埼玉大助教授を経て,現在東工大・情報教授.工博,昭53年度学術奨励賞受賞,著書「電磁気学演習T」(昭晃堂)など


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