●解説     雨宮 好文


■5. ELF磁界とがんの問題

  5.1 米国RAPID報告など

 「電力線磁界とがんは関連する」と幾つかの疫学論文がいう.このことを否定する疫学論文もある.「…関連する」とは,ある集団の人々のばく露電磁界のレベル(大きさ)と,がん患者数とが並行性があるということである(しかし電磁界が原因となってがん患者が増えるという因果関係があるということではない.疫学によって因果関係を求めることは本質的にはできないのである).ここで問題の磁束密度は数ミリガウスという低レベルのものである.

 この低レベルばく露での発がん性を立証する結果が動物実験で得られたという報告がない.したがって疫学の結果には多くの専門家が懐疑的であり,現在,発がんに対するばく露限度値が定められる情況にはない.ICNIRP 1998指針解説文は「…疫学的データは実験研究による裏づけがないため,曝露指針を設定するには不十分である」と述べている.

 米国では,この問題について1994年から1998年にわたる経費4 000万ドルという研究プロジェクト(RAPID計画,Research and Public Information Dissemination Program)が実施され,1999年6月に最終報告が議会へ提出された.計画の主務官庁である国立環境健康科学研究所(NIEHS)の報告(10)を要約すると,「動物及び細胞などの生物学的研究ではポジティブな結果はないが,疫学研究では小児白血病及び職業人の慢性リンパ白血病は電磁界と関連する」というのであった.

 このように,「電力線磁界とがんは関連する」という疫学の報告と,「低レベル磁界の健康影響は実質的に見られない」という動物・細胞の実験報告とが並存する.すなわち,疫学という非実験科学の結論と,動物・細胞に関する実験科学の結論とには食い違いがある.この理由について筆者は,疫学論文の方に何か落とし穴のようなものがあるのではないかとの観点から考察した結果,次の見解を持つことになった(11).

  「疫学論文では原因となりそうなものを漏らさない≪安全サイド≫の記述が最も肝要であり,前提(仮定)の妥当性あるいは推論での論理性等の吟味は二の次である」.

 
 5.2 疫学論文での安全サイドの考え

 疫学論文の著者は,仮説「電力線磁界とがんは関連する」[H]を検証しようとする.議論の基礎として「前提」を設け,その下で議論展開(推論)して相対リスクを見積もり,この値が統計的に有意であることを示すことができるならば,仮説[H]は検証できたと判定する.このとき[H]がそのまま結論となる.ここで「前提」とは,その著者独自の仮定であり,その仮定が正しいことの証拠は示されなくてよい.相対リスクとは,磁界ばく露を受けた群でのがん患者の割合と,磁界ばく露を受けない群でのがん患者の割合との比のことである.

 疫学の本来の目的は疾病の予防に対する公衆衛生上の提言を得ることである.必ずしも病原菌(因子)そのものの指摘ではない.この目的を果たすために,原因となりそうなものを漏らしてはならないという安全サイドの考えがある.したがって例えば,適宜にデータを補充/一括する(広くあみをかける)操作,ある程度大きい相対リスクが見積もられた場合は有意性がなくてもこの値も重視する処置等が慣例的に行われる.

 この「広くあみをかける」操作の方も明らかに恣意的(論理性がない)であり,「ないものをあるとしてしまう」恐れもある.

 

 5.3 要約

 疫学論文と,理工学など実験科学の論文とは性格が異なる.疫学論文は安全サイドの見地から記述され,前提とする仮定の妥当性,推論の論理性に関しては疑問点を含む可能性もある.我々理工学関係者は,この疑問点の吟味を理工学の視点から行い,疑問点が解消しない場合には,これを広く人々に伝えることが必要である.

 疑問点の実例を挙げてみる.上記のRAPID報告のドラフト(12)で各疫学論文の評価に際し有意性がなくてもリスクありとしたこと(13),いわゆるカロリンスカ論文・北欧三国プール論文で論理性に疑問があること(14),カナダの論文で対照群(非患者群)の選定に関する前提の妥当性に疑問があること(15)などがある.


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