〔宮崎〕
 皆さん,こんにちわ.御指名頂きまして小さな胸が張り裂けそうです.

 ITというのは「インフォメーション・テクノロジー」の略とされるのが一般的ですが,ITがテクノロジー,技術で止まっている点が我が国の問題ではないかと,最近,非常に痛感しているところです.ヨーロッパなどでは,ITはインダストリアルトランスフォーメーション,要するに情報技術が入ることによって産業構造が,社会が,人間関係がどう変容していくか,そちらが問題なのです.テクノロジーそのものではない.この視点が今私たちに非常に求められているところではないかというのが,第一の感想であります.

 この10年ちょっとで世界の構造,力関係が大きく変り,今日に至る社会状況になったわけですが,その陰にあったメディアの発展を大きく取り上げる必要があるのではないでしょうか.私が駆け出しだった1980年代初頭はまだ衛星中継が不安定でしたし,極めて高コストでした.それが急速な技術革新で「TNTからNNNへ」というキャッチフレーズが出てきました.「TNT」というのは「トゥデイズニューズ・トゥデイ」です.今日のニュースを今日中に届ける.それでは余りにも情報価値が下がってしまう.だから「NNN」(ナウニューズ・ナウ),これを何とか実現したい.これはシステム,人,コストすべての面で大きな課題だった.それが名実ともに可能になったのが1985年前後からです.国際ネットワークで一般市民がアンテナさえ立てれば自由に外の情報が取れる.これがかつての強権支配体制を崩していった.つまり,テクノロジーの進化で情報が質的にも量的にも交流システムを変容させ,社会変動が起る,国際社会の構造が変るわけです.

 1995年ぐらいになりますと,我が国では阪神・淡路大震災というのを経験致しまして,パーソナルな情報はパーソナルなネットワークでまわらなければいけないという,新しい形の媒体が必要とされる.それと時を同じくして,インターネットが一般大衆化,普及化してくる.そういうテクノロジーの変化が社会構造を変え,政治スタイルを変え,政策決定過程を変え,意思決定プロセスを変え,いろいろなところを変えていることを考えると,これから何がどう変るかということが非常に大きなテーマになると思うのです.メディアをめぐるテクノロジーが変ってきたことが人間関係をどう変えていくのか,神の手にどこまで迫る行為をしていくのかというテーマを投げ掛けていると思います.

 もう一つは,情報だけではなくて物体の運搬手段というのもあります.運搬手段も同時に変っていって新しい時代を迎える.それでは,21世紀というのはどういう特徴の時代かというと,20世紀から21世紀へは「プレースの時代からスペースの時代へ」だと考えます.プレースは地面上の活動が主体でしたが,21世紀はスペース,空間,情報空間,社会環境,人間関係,ネットワークであり,その空間設定によって場が変ってくるという時代でしょう.

 その中で何が求められるかというと,私は今日それを申し上げようと思ってきたのですが,まさにリアリティーの問題.サイバー空間の実態と,地面の上のまだプレースを引きずっている実態,これは人間が人間たるゆえんを残している以上どこかで必ず確保しなければならない部分です.その部分がどう有機的に結合できるのか,互いにハッピーな形で投影できるのかが,21世紀のIT社会の健全な発展に向けての課題ではないかというのが,私の非常につたない,感想というより感慨に近いものです.

 よくリセット症候群とか,17歳少年の心の闇は何であるかといわれます.「画面でけがしても痛くない」,「画面で死んでも生きている」,じゃあ,現実の死をどのぐらい実感しているだろうかという,ここの脈絡の部分が問われるような事態というのは様々な分野で今起っているわけです.いわゆるニューエコノミーの中の出来事,サイバーマーケットの出来事なども,そこと地面の上の実態との関係がまさに健全かどうか,幸せかどうかがこれからの21世紀の人類の行方を占う大きなかぎではないかと思っております.


〔宮内〕
 ありがとうございました.続きまして,原島先生,お願い致します.

 

 

〔原島〕
 原島でございます.

 この電子情報通信学会はまさに私のバックグラウンドかつホームグラウンドで,現在でも裏でいろいろと支えてはおりますが,役職の方では,もっと小さい「日本バーチャルリアリティー学会」とか,「日本アニメーション学会」とか,「日本顔学会」に関係しております.この3学会に共通していることは,まさに今日のテーマである〜自然科学と人文科学による共創〜ということでいろいろな分野,文系,理系いろいろ混ざっているということです.

 例えば日本顔学会.この学会は一昨年,上野で「大顔展」という一般向けの研究発表会で30万人近く集めたという学会なのですが,現在,会員は約850名でございます.うち女性会員が27%いて,それが非常に目立つ.それに比べて今日この会場は女性の方が数名ですよね.今日のテーマの前に男女の共創をやらなければだめなのではないかというふうにも思った次第です.

 それはともかく,顔学は趣味的な学問ではないかとよく言われるのですが,顔学会は未来の科学を先取りしていると,むしろ胸を張ってやっています.その未来の科学を私は仮に「ダ・ヴィンチ科学」と名付けています.ダ・ヴィンチは,御承知のように万能であるということで「総合知」と同時に「感性知」を持っていました.これに対して,今の科学技術は「総合知」ではなくて「専門知」が主体である.「感性知」ではなくてむしろ「理性知」中心にきている.「専門知」,「理性知」の科学技術の中にどうやって「総合知」,「感性知」を入れていくかがこれから重要ではないか,それが「ダ・ヴィンチ科学」の意味です.

 しかし,現代において果たしてダ・ヴィンチは可能でしょうか.結論だけを言わせて頂きます.「今は一人ではなれない.複数名でなるしかない」,今日のテーマである「共創」でしかダ・ヴィンチにはなれない.複数名が一緒にやることで可能になる,と考えています.

 今から35年前に工学部に進学したときに,ある偉い先生がこういうことをおっしゃいました.「テクノロジーのTの字には意味があるのだ.Tという字は2本の棒からなっている.縦の棒は専門を深くということ,でも工学部は縦だけではいけない,横棒が重要なのだ.広い知識を身につけていないとモノを作ることはできない,それが『T』なのだ」と.今,私はこれにちょっと別の解釈をつけ加えています.この横棒は一人が広げてもやはり限度がある,むしろ他の分野の人と手を結ぶために横棒がある.一人で「総合知」,万能の人にはなれないけれども,手を結べば全体で一人のダ・ヴィンチになれるのではということであります.でも,手が短かったら他分野と結ぼうとしてもできない.他分野と手を結べるぐらいの手をみんな持っていてほしいと思っています.顔学会の会員には,哲学に強い人もいる,人類学に強い人もいる,コンピュータにも強い人がいる.実態は850名の集団だけれども,一人の平成のダ・ヴィンチになれるということです.

 そう考えますと,実は灯台(東大?)もと暗しで,私がいる大学もある意味ではいろいろな分野の研究者の集団です.今まではバラバラだけれども,手をつなげばダ・ヴィンチになれる,大学こそそういうところではないかと考えています.最近東京大学では情報学の教育研究体制を整備しました.富士山でいえば「より高く,より広く」ということで,より高くへ向けて「情報理工学系研究科」を,より広くへ向けて「情報学環」という組織をデザインしました.このうち「情報学環」では,上に述べた「ダ・ヴィンチ科学」を目指しています.


〔宮内〕
 ありがとうございました.続きまして辻井先生よろしくお願い致します.





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