■3. 技術立国の日本が生み出すポータブル製品

 1979年にウォークマンを生み出した日本は,様々な携帯製品を世に送り出してきた技術立国の国であった.この度の,携帯文化は,物のポータブル化にとどまらず,行動様式をも変え得る新たな価値を創造した(図3).

図3 携帯電話ショップは新製品であふれる

図3 携帯電話ショップは新製品であふれる


 インターネットアクセスは米国が圧倒している.パソコンを介してである.そのパソコンの携帯化を米国のメーカーはPDAに求めた.しかし,期待したほど大きな市場を得ることはなかった.今日の携帯文化は,その延長線上に開花したものではない.

 単なる文字メールのやり取りであるなら,欧州が早い.文字メッセージを送受信するSMS(ショートメッセージサービス)が移動体通信システムの標準機能としてあり,スポーツ情報などの情報配信サービスも行われていた.iモードの始まる以前からである.しかし,その利用は,1か月当り数件からせいぜい20件程度であるという.毎日友人とメールを交換しネットから情報を得ている日本の若者と雲泥の差だ.もちろん,欧州がインターネットとの接続に手をこまねいていたわけではない.WAP(ワイヤレス・アプリケーション・プロトコル)という技術標準を定め,各携帯電話事業者はその導入を終えている.しかし,その普及は日本にはるか及ばない.


■4. 日本だけが成功した謎

 携帯電話によるインターネットへの接続については,日本でも当初疑問視する専門技術者が少なくなかった.彼らは「小さなディスプレイしか持たない携帯電話では,インターネットのメールすら読めまい」と踏んでいた.しかし,日本の携帯電話事業者は違っていた.まず,プロバイダとしての様々なサービスを開始するとともに,開発したコンパクトHTML(用語)技術を情報サービスサイトに提供し,情報コンテンツの配信を積極的に働きかけた.この結果,インターネットという巨大な情報ネットワークを生かした様々なサービスやビジネスモデルが登場することになった.今や,携帯電話事業者は最大のプロバイダにもなっている.


■5. 機能可変なJava搭載携帯電話機も生み出す

 2001年には,NTTドコモによる「iアプリ」,KDDIグループによる「ezplus」といったJava搭載携帯電話機によるサービスが開始された.購入後でも電話機に様々な機能が追加できるようになったのである.2002年7月東京・有明の東京ビッグサイトで開催された「InfoComm Japan 2002」では,携帯電話機が入場券や電子決済用カードの役割をする実験が注目を集めた.今後も,携帯電話を使ったモバイルサービスが様々な形で登場しよう.


■6. 次世代携帯電話機でも一歩リード

 IMT2000という次世代の無線通信技術の開発が世界で競われている.ここでも日本は一歩リードした.NTTドコモは2001年10月にG3(第3世代)の携帯電話として世界に先駆けHOMAの本格サービスを開始した.海外でもそのまま使える国際ローミングといったサービスも可能になる.動画配信によるビデオオンデマンドサービスや家庭でのTV電話といえば,つい昨日まで近未来の夢であった.それが,世界に先駆け,持ち運べる携帯電話機上で簡単にできる時代に入ったのである.日本をうらやむわけである.



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