電子情報通信学会誌

Vol.86 No.3 pp.154-163
2003年3月

村井 純 正員 慶應義塾大学環境情報学部
 E-mail junsec@wide.ad.jp

Evolution of the Internet:Internet Deployment and the Case in Japan. By Jun MURAI, Member (Faculty of Environmental Information, Keio University, Fujisawa-shi, 252-8520 Japan).



1.インターネットの歴史を振り返る インターネットの歩み その誕生と歩み,そして,日本における発展 村 井 純


ABSTRACT

 21世紀に入り社会基盤としてのインターネットの役割はますます大きく重要になった.今日に至るインターネットにかかわる研究開発と発展の歴史は,言い換えればディジタルコミュニケーションの歴史である.本稿では,日本におけるこのディジタルコミュニケーションインフラの誕生から研究開発の経緯,商用化への移行に至る歴史を振り返り,その過程で明らかになった問題点や課題を挙げる.そして,現在の取組みと今後のインターネットの展望についてまとめる.

キーワード:インターネット,ディジタルコミュニケーション,インターネットの歴史,インターネットの発展,モバイルネットワーク



■1. は じ め に

 2002年7月,横浜においてアジア圏では初の第54回IETF(The Internet Engineering Taskforce)(1)国際会議が開催された.このIETFは,IPv6(Internet Protocol version 6)(2)の展開に大きな転機をもたらした会議となった.それまでIPv6は,次世代のプロトコル基盤としてとらえられ,開発に取り組まれてきた技術である.ところがこの会議では,次世代ではなく「現在のプロトコル」であるという認識が広くアナウンスされた.これは,IETFのマネージメントを行っているIESGが発表した宣言で,これによりIPv6に対する認識は大きく変ることとなった.現にアトランタで開催された第55回のIETFでは,IPv6のプロトコル定義の作業を独立したグループで取り組まず,すべてのプロトコル定義の一部として推進するための調整が急激に行われはじめた.

 第54回のIETFの日本開催は,これまでIPv6開発に大きく貢献してきた日本のインターネットの研究開発グループにとって,そのプロトコルの標準化に対するアプローチとして,大きな成果であるとともに,一つの区切りを迎えた会議だった(図1).


図1 IETF54会議におけるIPv6,IPv4 両用のワイヤレスLANの利用状況 2002年7月に開催されたIETF54の国際会議においては,参加者2,000人の約90%がワイヤレスLANを利用し,多くの参加者が成田空港から会場とホテルでIPv6を利用した.

図1 IETF54会議におけるIPv6,IPv4 両用のワイヤレスLANの利用状況
2002年7月に開催されたIETF54の国際会議においては,参加者2,000人の約90%がワイヤレスLANを利用し,多くの参加者が成田空港から会場とホテルでIPv6を利用した.

 日本におけるインターネットに関する研究開発の歩みは,1985年の4月に電気通信事業法の法律の施行にともなって,電電公社の民営化に端を発している.そこでいわば電話回線利用の自由化の幕が開き,電話のインフラストラクチャを使ったディジタルコミュニケーションの発展が加速した.この時期というのは世界から比べた場合にそれほど差があったわけではない.他の国でも同様の事業化,電話通信のインフラストラクチャがディジタル通信のいろいろなインフラストラクチャに向かったころであり,世界各国で同じ時期に進められてきたといってもよい.

 ARPANET(3)に始まり,1969年にスタートしたパケット通信の考え方が,CCITTなどのX.25といったパケット通信の流れがこのころまでに進んできており,これが当時のメインフレームへの通信を電話回線を介して行うための技術として発展してきた.これがパケット通信の歴史の流れである.もう一つの大きな流れは,1969年ARPANETができた当時,ベル研究所からUNIXオペレーティングシステム(4)が発表され,ハードウェアに依存しないオペレーティングシステムが登場した.この基本ソフトウェアの理念でインターネットにとっての重要なポイントは,ディジタルデータを用いた広義のコミュニケーションの抽象化を行ったことである.このUNIXの登場と,ARPANETの誕生は1969年の同じ年である.この二つの流れ,つまり,UNIXを中心とした人間が使うコンピュータ,道具として役に立つコンピュータと,コミュニケーションのためにディジタル情を流すネットワークがそれぞれ独立して1970年代に大きな発展を遂げ,1980年代に出会うことになる.

 日本の場合は1985年に電気通信事業法の規制緩和を受け,正にこの二つの技術,人間が使うオペレーティングシステムと,ディジタル情報の転送を行うパケット通信の技術が融合した時期にタイミング良く受け皿が整った形になる.ディジタルテクノロジーは他の多くのテクノロジーと違い,人に使われること,あるいは社会の中で応用されることに評価の基準がある.つまり,こうした法務的な規制の緩和,規制の変化,文化の流れに大変大きくかかわる技術であり,電気通信サービスの自由化の第一歩がこの時期に行れたということの意義は大きい.

 ディジタル情報を共有・交換するための基盤を形成するのがインターネットの技術であるが,インターネットの技術は,社会とマーケット,制度と政策,そしてディジタルテクノロジー自体の発展がちょうどその三位一体となってかかわりを持ちながら発展していくというところに大きな特徴がある.本稿では,インターネットの誕生の背景から,技術の流れ,政策としての流れ,そして,ビジネスとしての流れも含めて,インターネットの誕生・歩み・日本における発展を考える.



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