■5. 目指せ「世界の消防署」

 知的社会基盤工学技術の詳細については,文献(2),(3)を参照頂くこととして,その発足の背景には,以下のような論点があった.当時の報告書に書かれている幾つかの項目を,多少の字句修正を踏まえて挙げる:

   我が国の先端技術の研究開発は多くが自己目的化していないだろうか?
   あるいは他国が宣伝すればそれを追いかける他国追従型になっていないだろうか?
   研究者の自己満足や重箱の隅的な基礎研究でなく,グローバルな市場価値の生まれるテイストを持った基礎研究が必要なのではないだろうか?
   昨今注目を浴びているインターネットの芽は既に20年以上昔にARPANETの構築によって芽生えている.我々のやるべきことは,インターネットの後追いをするだけでなく,いわばARPANETの段階の技術を独自の技術分野で起すことではないだろうか?
   インターネット上の検索ソフトやマルチメディアソフト等をはじめとするソフトウェアに注目が集まる中で,我が国得意の電子通信機器・機械・建築・その他のハードウェア技術はどのように発展すべきなのだろうか? 生活者にとって必要なのは生活の基盤となるハード・ソフトの融合技術ではないだろうか?
   複雑化した社会の工学的基盤をデザインするには,単一システムの知能化,極限化と違った観点を持つ新たな発想のシステム化技術が求められているのではないだろうか?
   世界的競争力を持つためには,国際標準化につながる新技術の核を作ることが求められているのではないだろうか?
   広い産業分野に基本的インパクトを与える新しいシステム技術の開発が必要なのではないだろうか?
   生活者の観点を重視した人間と技術の共生を本格的に目指すシステムデザイン技術が必要とされているのではないだろうか?
   世界の21世紀社会基盤の構築に対して我が国から発信する先端技術が抜本的な貢献をすべきではないだろうか?

 知的社会基盤工学技術は,これらの疑問に答え得る内容を持ち,我が国の将来を決める技術の一つとして大きく期待できると考えている.

 米国は「世界の警察」として国際貢献を果たし,世界の中での存在をアピールしてきた.米国の経済力,政治力は,「世界の警察」としての活動に支えられている面もある.これに対して日本はどうだろうか.日本が,国際社会に貢献して世界の中での責任を果たしつつ,経済的にも文化的にも立派な国であり続けようとするのであれば,世界の人々の安全で安心な生活を支える「世界の消防署」を目指したらどうか.レベルの高い技術,誠実な人々,防災,健康,生活基盤を支える専門家たち(医師,看護師,救助隊,高度技術者等々),世界に誇ることのできる歴史と文化,こういった知的資産と,上に述べた知的社会基盤工学技術の更なる発展を元手に,平和を希求する国家として,「世界の消防署」たることができるのではないだろうか.このオリジナルなコンセプトは,上に列挙した疑問を解消し得るものと考えている.


■6. ヒューマン・ロボット・コンピュータインタラクション


 筆者が1990年代に入って新しい道を目指したもう一つの方向は,「人間と環境のインタラクション」の問題であり,とりわけ,1991年の国際会議の基調講演で初めて発表した,「ヒューマン・ロボット・コンピュータインタラクション」の研究である

 ロボット工学は大変重要な分野であり,またヒューマン・コンピュータインタフェースも大切な分野であるが,一方で,人間とロボットのインタラクション,更には人間とロボットとコンピュータのインタラクションについて研究することが重要と考え,PRIME(Physically-grounded human-Robot-computer Interaction in Multiagent Environment)プロジェクトを1990年に発足させて現在に至っている.PRIMEからは,博士論文レベルの結果だけをとっても,例えば人間・ロボット・コンピュータの混在した分散情報環境,ロボットによる自然言語の意味の学習,ロボットから人間への意図の伝達,人間とロボットのインタラクションプロトコル,割り込み機構を強化したロボット制御用基本ソフトウェア,アクティブ・インタフェースアーキテクチャ,ロボットの注意機構等々,多くの成果が出ている.

 ロボットとは「センサとアクチュエータのついたコンピュータ」のことであり,コンピュータのできることはロボットにも必ずできる.また,この意味でロボットをとらえると応用範囲は極めて広い.ロボットというと,以前は産業ロボット,今は人間や動物の形に似たヒューマノイド,アニマートを思い浮かべる人が多いかもしれないが,上の定義によれば,自動車,飛行機,家電,家具,住宅,道路,医療機器,機器ネットワーク,その他,生活者が依存しているほとんどあらゆる生活基盤,社会基盤をロボットの定義に含むことができ,したがって人間・ロボット・コンピュータインタラクションの研究は,「人間・環境インタラクション」技術開発の最も重要な基礎の一つとなり得る.

 人間・ロボット・コンピュータインタラクションの研究においては,従来のロボット工学やヒューマンインタフェース技術では余り取り上げられてこなかった研究テーマがいくつもある.例えば,我々の研究室で取り上げられたテーマの例を挙げれば,行動レベルでのロボットのプロトコルとそれをサポートするソフトウェアとアーキテクチャ(例:人間とロボット間での荷物の授受),人間から見たロボット行動の信頼感,時間制約のあるヒューマンインタフェース(例:ユーザが入力してから1秒以内に適切な方向を向いて出力を返すアクティブインタフェース),人間・ロボット間の情報共有等々,枚挙にいとまがない.

 とりわけ,戦後の日本で長い間置き去りにされてきた感のある人間生活の質の向上について,これまでのような,時によって応答時間が異なる,応答時間が機械任せのインタフェースではなく,「与えられた時間制約のもとで必ず適切な応答をするシステム」が望まれる.このようなシステムは「リアルタイムシステム」と呼ばれる.例えば,マルチメディア・ユーザインタフェースはリアルタイムシステムとしての性能が要求されることが多い.ロボット制御等では1ミリ秒レベルの時間制約を必ず満たさなければならず,これもリアルタイムシステムである.こうしたリアルタイム性の考え方のもとに,2001年度から,文部科学省科学技術振興調整費のもとで,ロボット工学,制御工学,無線通信工学,コンピュータアーキテクチャ,基本ソフトウェア,ネットワーク,ヒューマンインタフェース,センサ工学,生体計測等の国際的レベルの第一線研究者の産官学連携によって,「人間支援のための分散リアルタイムネットワーク基盤技術の研究」を5年間の計画で行っている,既に様々な要素技術の成果が得られ,2002年秋に第1期評価が行われて極めて高い評価を得ており,それを踏まえて2003年度には3年目(第2期1年目)を迎える.

 リアルタイム性は,ヒューマン・ロボット・コンピュータインタラクションのみならず,広くこれからの人間・環境インタラクション技術におけるキー・コンセプトである.更にリアルタイム性は,安全で安心な生活を営むための社会基盤を構築し運用する知的社会基盤工学技術においても,重要な位置を占めている.

 なお,人間・ロボット間のインタラクションの問題は,ロボットを人間と環境の間のインタフェースと見なす考え方に通じる.ロボットが,環境の情報を人間に与え,人間からの情報を環境に与えることを通して,人間と環境のインタラクションを取り持つ役割をロボットが果たすことができる.ロボットは,コンピュータ端末のインタフェースのようなバーチャルな世界を指向するインタフェースと違って,「実世界指向インタフェース」としての機能を果たす機械であると考えることができる.本稿では省略するが,こうした考え方に沿ってロボット学の新しい方向が開けていくものと期待している.

 更に,ロボットが人間とのインタラクションの機能を十分に果たすには,ロボットの「知能化」が必要であり,しかもその知能化の概念は,社会的なインタラクションの概念を基礎とするものであってほしい.これも本稿では省略するが,「ロボットの知能化」についても新しい方向が開けるものと期待できる




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