審査基準は既に公表されているとおりであるが,実際の審査にあたってはあくまでも「世界的な研究教育拠点であるか,あるいは5年以内にそうなり得るか」という点に常に回帰して議論が進められた.したがってそういう意味からは絶対評価に近いが,現実は採択件数が限られているから,最後のところでは相対的な評価も行わざるを得なかった.応募書類は大学の将来構想,拠点の目的と形成計画,構成員の研究実績並びに博士課程学生の育成実績などから成っているが,いきおい構成員の研究実績が世界的なレベルに達しているか否かが第一の着眼点にならざるを得なかった.世界的に平均水準を越えた研究業績を残している人が大勢いるグループは,審査基準の「世界水準」を既にクリアしていると見なされるのは自然なことであろう.しかしそういう研究者をたくさん擁しているグループでも拠点の目的や研究計画がよく練られていなく,実行性に乏しいと見なされたり,あるいは構成員の実績が十分生かされていない計画のものは「ある一定の学問分野におけるCOE形成」が可能とは思われなく,審査をパスしないものもあった.更に学長のリーダーシップはかなり重要な要素として評価された.特に私立大学や旧帝大ほど科研費などを多く取っていない国公立大学では学長が強いリーダーシップのもとに,ある学問分野に研究教育資源を注入しようとしている,いわゆる「戦略」がはっきりしている場合は審査委員に好感を与え,また実際拠点形成も可能であろうと思われた.

 プログラム発足前から教育の取り扱いに関してはいろいろな意見が出た.当初は教育として学部教育を含むような意見も出た.しかし,あくまでも博士課程を持つ組織で世界的な研究拠点を目指すということ,その中で若手研究者の育成ということが重要視され,結局世界に通用する若手研究者の教育,更には博士号を持った人が研究畑だけでなく,もっと広く社会をリードする必要があることから,優秀なリーダー養成という意味での教育を重視することに落ち着いたと思っている.すなわち一言でいうと研究を通しての教育である.しかしながら博士課程の教育の現状を見ると,博士学位を取るころには基礎的な学力が逆に低下してしまっていることが多い.したがって,学位授与の前に学生の基礎学力を試すようなプロセスが必要ではないか,また社会のリーダー養成なら狭い一つの分野に特化した能力だけでなく,広い分野の知を身に付けていなければいけないのではないか,といった意見も多くあった.これは従来の日本の博士課程の教育プログラムにはなかった新しい教育方針ともいえようが,アメリカの超一流の大学では学位論文を書く前にクオリフィケーションテストを必ず課していることや,ダブルメジャーといったことが普通になっていることを見ても分かるように,世界のすう勢は既にこのような博士課程の教育の位置付けを採用している.日本の博士の学生数が極端に少なく,社会が博士課程修了の学生を受け入れる素地が小さいのは,今までの博士課程の教育に問題があったと思っている.これを是正することも今回のプログラムの一つのターゲットである.しかし,博士課程修了時に学生が持つべき学力や能力までを考慮して教育プログラムを構築している大学がほとんどなかったのは残念である.

 審査は委員が採点しその平均点を取るという方法は採用せず,できるだけ個々の案件について委員の意見を述べ一件一件審議する方針をとった.しかし時間の制約もあったため,極めて優れているものと世界的な水準には距離があることが明白なものについては審議の時間を相対的に少なくした.委員会の中での意見交換は大変スムースに行われたと思われる.委員の中のだれがどういう意見であるかを委員会の中で開示することは,審査の公平性を担保する一つの要素であると私は日ごろから考えているが,この審査ではそれが実現したと思われる.結果は表1に示すようになったが,この過程において大学間のバランスや分野間のバランスについては一切配慮しなかった.もちろん個人の考えの中でそういった要素を考慮した人がいたかもしれないが,委員会としては表立ってそういう点に配慮しなかった.しかし結果は大変バランスの取れたものになっている,と思われよう.昨年度全体としても東大と京大では数が等しく,また早慶のバランスも取れていたが,総合評価部会でもその点に関して何らの調整を行っていない.審査委員は全体の集計が行われて初めてその事実を知ったわけである.また小規模な大学でもある分野に特化して世界的な水準を目指すものについてはCOEが与えられた.この点についてはあらかじめそういう種類の研究拠点が重要であるという認識は委員の中で共有化されていた.


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