6. ハイテク国家のための方策   ――私の意見――

  森嶋氏は2050年の日本を「生活水準は相当に高いが国際的には重要でない国」と予測している.しかし,高い水準の生活をするにはエネルギーの消費量は多いはずだ.現在の生活に慣れた人は,江戸時代のような自給自足の生活を高い水準とは思わないからである.

  資源に乏しい日本は技術立国が国是である.多量の石油や天然ガスを輸入するためには,ハイテク製品を輸出しなければならない.これは国際的に重要でない国というのと矛盾する気がする.2050年の日本がハイテク国家あるいは経済大国であるには,どうすればよいだろうか.この章では,私の主観的または独断的な方策を並べるが,専門外のこととして御容赦頂きたい.

   自由か平等か
  平等というのは,多くの日本人が抵抗感なく受け入れる考え方である.小学校の運動会の徒競走で,生徒に差別感を与えないよう速い生徒と遅い生徒は別々に走らせる,という例からも理解できるだろう.

  日本の“平等”に対応するのが,アメリカの“自由”である.能力ある人が自由に力を発揮できる環境を作ることがアメリカ全体の国力増進に役立つ,という考え方である.徒競走の速い生徒はその能力を褒め,本人の努力が実るようにしてやる.日本の“定年”に相当することで勤め先を辞めるのは,アメリカでは年齢ではなく能力によるという.

  日本経済新聞(2004年4月18日)の“今を読み解く”という欄に,「道路の挫折,改革に黄信号」という記事があった.次は結論の一部である.

  (財政投融資の)最大の融資先が道路公団だ.野放図,不透明に高速道路を造った結果,四公団の債務は40兆円を超えた.(中略,今回の改革でも)東名高速道路の収入を元に北海道の道路を造る仕組みは健在だ.無駄は続く.

  この記事は,小学生の徒競走と同じで日本の行き過ぎた平等主義を批判している.国民を平等にするのも政府の役目の一つだから,駆け足の苦手な生徒の味方になり,都市部で得た利益を収入の少ない地方で利用する,などは自然となる.それにしても,森嶋氏は国家資本主義から競争資本主義への移行に50年かかるというが,平等主義からの脱却にこのように長い年月が必要なのだろうか.

   成功体験の克服
  「剣かコーランか」で世界を征服したイスラム社会では,現在でも宗教が大きい力を持っている.これは成功体験が末長く社会を拘束する例と私は思っている.日本は貧富の差の少ない国として第二次大戦後に経済大国に成長したため,平等主義が説得力を持っている.

  私も「アイデアはいかに生まれるか」(前掲)で平等主義が経済大国に貢献したと主張し,次のように反論されたことがある.日本は戦前の方が貧富の差は大きいが,独創的な発明発見をした湯川秀樹,八木秀次,本多光太郎,北里柴三郎,高峰譲吉……がいるではないかと.

  動物の世界の生存競争はよく知られている.常に競争を強いられる動物とは哀れな存在だが,厳しい競争が強い動物を生むのは定説である.競争の少ない洞くつの中だけにいる動物はみるからに退化している.人間も動物だから,アメリカの識者がうらやんだ「直接市場をねらうR&D」で,技術者や企業を競争させる方策が必要不可欠だろう.敵が最も恐れるところこそ攻撃すべきである.

  成功体験の拘束の例に,日本には再販制度がある.メーカが販売定価を決めて小売業者に卸すことで,現在では新聞と書籍のほかは禁止されている.本の公定価格を決めると全国どこでも安い本が得られ,国民全体の教育と知識の普及に貢献したことはよく知られている.

  このときの公定定価は最高価格だったが,現在では最低価格となり安売りが禁止されている.古本なら安売りできるためBOOK OFFという古本屋が繁盛している.新聞社は再販制度の維持に熱心だが,社会の木鐸といわれる新聞が守旧派に与くみするのは,日本の最大の不幸と私は思っている.

   インターネットと郵便切手
  インターネットのアドレスにアメリカの国名がないのを知り,私は郵便切手にイギリスの国名がないのを思い出した.郵便切手は1850年ころイギリスで生まれたため,これを借用した国は自国名を入れる必要があった.大学間の研究情報の交換を目的として,インターネットは1960年ころからアメリカで利用されたが,アメリカのアドレスにUSAがないのは郵便切手と同じである.

  郵便切手とインターネットは,これから末永く世界で利用されるだろう.このように重要なシステムが,なぜイギリスとアメリカで生まれ,なぜイタリア,フランスやドイツでなかったのかを考えたことがある.

  「発明発見は研究者の才能よりは研究テーマや環境に多く依存する」と考える私は,これらの国々の社会制度の差に注目し,憲法に気付いたのである.フランスのナポレオン法典やドイツのワイマール憲法は有名だが,イギリスには成文憲法がない.アメリカに憲法はあるが,度々修正されてイギリスに近いそうである.

  憲法という固定された精神的目標がないと,社会が変動する度に緊張を伴う試行錯誤が要求される.試行錯誤は失敗することも多いが,試行する回数が多ければ新しいものが生まれやすいのは研究と同じである.

   研究結果の評価システムが重要   ――信賞必罰――
  私は1969年にアメリカの大学に留学した.給与は先方から出たが,これは教授が外部から得た研究費の一部だったという.アメリカでは研究費はかなり自由に使えるが,研究報告書が大変と教授はしきりに嘆いていた.研究報告書は専門に詳しい人に厳しく評価され,成果が出ないと次の研究費が得られないからである.研究費の“領収書”は予算の使途明細などではなく,研究成果そのものであることを意味している.

  研究結果を評価する人が専門に詳しくない場合には,研究者は研究費の使途別使い方や形式的な報告書の用意に忙殺されることになる.競争資本主義の社会では,市場原理や進化論の適者生存のように,研究の分野でも成果の上がるところに研究費を配分しようとする強い力が働いている.

  日本の技術立国に反対する人はいないし,利にさとい日本人である.例えば,皆が負担する消費税率を上げることで,アメリカのように年金制度や失業保険などの社会福祉を充実して平等主義から脱却する.この結果,一昔という10年くらいで,少なくとも研究の分野では国家資本主義から競争資本主義に移行するのではないだろうか.

  日本の短所や弱点を並べている「犬と鬼」(4)は気のめ入る本だが,28ページに次の記述がある.

  行政の世界は,だれも止め方を知らない恐ろしい機械のように動き続ける.「オン」のボタンはあっても「オフ」はない.

  価値ある成果を生む研究には試行錯誤が不可欠であり,研究開発は始めるときより途中でやめる方が難しい.駄目と分かったら早急にオフの決断をしないと,やがて技術立国でも近隣諸国に遅れを取るかもしれない.

 

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