■4. 考     察

 4.1 調和的な視覚的デザインと静寂技法

 筆者らは,龍安寺の庭園の現在の構造が,それをランダムにまたは一部を変更した仮想の構造と比較して,はるかに調和的になっていることを強調したい.変更した仮想の配置では,ほとんどの場合,中心軸がランダムに種々の方向に走る.しかし,現在の龍安寺庭園では,局所的な中心軸が,最終的に一つのため池に流れ込む小川のように走っている.これは,自然界でよく見かける「美しい調和的世界」を詩的,暗示的に表現するための構図と考えることができる.庭の「地」をトポロジカルな一つの物体と見れば,目には見えないが,5群の岩群を一つの形(物体)としてまとめて見ることは容易である.視覚探索に関する多くの研究では,空間的連関性があれば,視覚的光景をキャッチするために必要とされる注意的しきい値は低くなることが示されており,人が無意識の中で,「地」の中に形を見るのは,不自然なことではない.

 中心軸の持つ形態的構造に注意を向けるとき,認識のために必要とされる注意配分のためのエネルギーは低く,認知的負荷が最小になると考えられる.したがって,このような観察状況では,大量の視覚情報を処理する必要がなくなるので,認識のための情報処理は短時間で完了することになる.

 対称線の調和とパターン化された「地」の知覚的まとまりが容易になれば,視覚システムの情報処理資源の最小利用につながり,知覚的労力の低減になる.この意味で,このような視点に立った造園デザインは,人間の精神的安定を目指す「静寂を実現する技術」であるということができる.筆者らが提唱している技法がヒューマンインタフェースの様々の分野に展開できるなら,豊かな社会の構築に貢献できるだろう.

 4.2 関連する研究

 最近の美術の計算論的解析(13)によれば,ドリッピング技法(用語)における視覚的構造は,統計的に自己相似的であり,自然界によく見られる性質を持ち,決して偶然の所産でないとされている.本稿では,中心軸変換法を応用して,「地」に形態的構造が隠されていることを明らかにした.その結果,種々の偶然でない蓋然的な性質が存在することを示すことができた.多次元スケール構造による日本庭園の細密な解析は,今後研究する予定である.

 室町時代には,枯山水の庭園だけでなく,多くの日本美術が,心理学的に見て洗練された高いレベルに達していたことは興味深いことである.Lyons, Campbellら(14)は,室町時代に作られた能面が心理学的に洗練されていることを,科学的アプローチによって明らかにしている.

 4.3 非対称性と日本美術における間

 今回の筆者らの提案は,順序性と複雑性の概念によるArnheimの初期のアイデア(15)を発展させたものともいえる.Arnheimは龍安寺のそれぞれの岩の塊群はそれ自身の構造的階層性を示すが,全体的枠組みを与えるような全体的階層性はないと主張しているが,これは地の持つ構造を無視したためと考えることができる.筆者らの視点に立てば,中心軸の知覚が意識として顕在化しないものであったとしても,地に存在する分枝構造は,デザインの全体的構造的階層と見なすことができる.龍安寺の庭園の持つ構造は,非対称性的であるが,その根底にある構造は,階層的に全体的一体性を持つ調和のとれた古典的なフランスの庭園の構造と無関係ではないと思われる.

 「間」は日本の様々なデザインにおける重要な概念である(16)が,現時点では,「間」の理解は理性的というよりはむしろ直感的レベルにとどまっている.筆者らはこの理解の仕方に異を唱えるわけではないが,視覚心理学者として,物(図)と物(図)の間(間隔,地または背景)が,人の知覚にどのような影響を与えるか検討した.間の効果は微妙で,意識下のメカニズムが関与すると思われるが,無視できない重要な要因である.今回の研究で,筆者らは,日本の枯山水の庭園デザインにおける「間」が,視覚の神経心理学的機構の性質と深いかかわりがあることの証拠を提示できたのではないかと考えている.

 4.4 デザイン美術における中心軸変換法

 デザイナー(設計家)は,庭園のような設計においては,配置する物の形と物と物の間げきの空間構成(図と地の構成)を全体的視点から同時に考案しなければならないが,優れたデザイナーはこの作業を効果的に,迅速に行うことができる.

 筆者らは,物の形それ自体より,物と物の間げき(間)の空間構造(背景または地の空間構造)をまず最初に設計するという考え方が重要であると考える.「間」の空間構成は,筆者らの直感には一見反するように思えるが,人の知覚に重要な役割を果たすので,その設計手法は調和のとれたデザイン技法へと展開できる可能性を持っている.中心軸による空間構造設計は,初心者に対して一つのオーソドックスな設計指針を提供できるものと考える.また,優れた設計家に対しては,直感的に体得している自身の手法を神経科学的視点から再考する機会を与えるのではないかと思う.人の感性は,視覚的な形をどのように理解するかにかかわる知覚と密接に関係するものである.本研究は,日本庭園の空間構造を解釈する新しい方法を提案したものである.また,筆者らの提案する手法はデザイン美術における相互のコミュニケーションが困難な課題に関して建設的な議論のツールを与えると考えている.



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