【 若い研究者・技術者に寄せて ──成果蓄積方法論のすすめ── 】

金 子 尚 志

電子情報通信学会会誌

Vol.83 No.10 pp.736-739
2000年10月
金子尚志:名誉員 日本電気株式会社


An Address to Young Researchers and Engineers:On Methodologies of Accumulating Technical Outcomes. By Hisashi KANEKO, Honorary Member (NEC Corporation, Tokyo 108-8001 Japan).

1. ま え が き
2. 技術成果の蓄積手段:「研究メモ」
3. 海外における経験
4. 経営者になってからの経験 5. お わ り に
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1. ま え が き

 私は昨年社長を退任し結果的にかなり時間的余裕ができたこともあって,自分の過去の書類,なかんずく入社以来19年間勤めた中央研究所時代の資料を整理してきた.分散していると思っていた研究メモや報告書・学会発表の書類がほとんどすべて発見された.それらを整理し統計を取りまとめるうちに,自分の若いころの研究道程の中で何が肝要な方法論(手法,vehicle)であったかを今更ながらに思い出し,この際若い研究者達に何らかの参考になればと思い,あえて学会に投稿してみる気持ちになった.



2. 技術成果の蓄積手段:「研究メモ」


 研究の成果は,天才でもない限りひらめきだけで結実するものではない.まず「自分は凡人である」との認識に立って出発したことは私にとって幸いであった.凡人の認識に立っていたからこそ,長い技術者人生で営々と努力の積み重ねをしていかなくてはならないと自覚していた.そのためには,努力した部分成果を書き物にしながら,積み上げ蓄積していくことが必須であると思っていた.当時中央研究所には,「研究報告書(LR,IR)」制度や「研究ノートブック制度」が導入されていた.しかし,いきなり大きな報告書にまとめたり,またアイデアを散漫にノートに記録していくだけでは,現実の研究推進プロセス上不十分であった.散漫なアイデアを整理・分析し,拡張展開し,評価し,隣接領域を検討する等の途中過程を記述しておくことが不可欠で,かつその結果がいつでも活用できる形に整理されていることの必要性に気がついた.そこで自分なりに私設「研究メモ」として記述・蓄積していくことを心がけてきた.


(a) 蓄積手段の制度化

私は研究室内の大勢の研究者にも是非この成果蓄積方法論を利用させたいと考え,「研究メモ,TR : Technical Report」制度を定着させた.これは上司への形式的報告書とは異なり,あくまで研究者自身の研究階梯を助けるための手段であった.起承転結も不要な自由形式で,題名とTR番号(私の場合はTR-HK-15等)だけ研究室内で登録し,自分でファイル蓄積するとともに,関係者にコピー送付しておくものである.私自身の集計結果では,研究所在任中19年間に執筆した研究メモは101件,平均12ページ(最短2ページ,最長45ページ)で,これらはその後の研究展開の積み上げ基礎になった.

研究を進める課程では様々な試行錯誤を繰り返すことになる.創意発揚の方法論として昔から「generalize, specialize, perturb」等が知られているが,これらの方法論で試行錯誤を展開しても,記録しなかったらせっかくの発想も蒸発してしまう.「研究メモ」は,これらのアイデアを霧散させずに段階的にメモに整理することにより,次のプロセス・次のアイデアに展開しやすくするvehicleとして極めて有効であるということである.

私は実質的な面で「memorize」も前記創意発揚の方法論に加える価値があると思っている.結果的には,この仕組みにより各人の技術成果が着実に蓄積されるようになり,研究発掘・推進の実質的vehicleとして有効に機能したように思うし,また創意発揚のモーティベーションになったことを実感している.


(b) 技術成果展開のフロー

「研究メモ」はあくまで研究道程におけるマイルストーンであるが,これがベースになって次の成果に展開・結実にしていくところに意味がある.図1に示すように,展開の結果は社内報告書(LR)にまとめられ事業移管の資料にもなるし,早い時点での特許出願にも結びつく.また学会活動の面では,研究メモの成果は,まず連合大会や全国大会に発表され,更に学会研究会での発表・討論を経て,学会論文誌や海外学会論文発表等の成果に結びついていく.従って,「研究メモ」を基底にして展開される研究進展のフローが理解されよう.



図1 研究成果蓄積のフロー



(c) 私個人の実績事例

以上の説明だけでは単なる理屈と思われてもいけないので,いささか恥をかくつもりで私自身の研究所在籍時代の実績統計を事例として説明したい.表1に1956年から1975年に至る19年間中央研究所在籍中の項目別論文資料統計を示す.技術所産総件数は262件で,各種の技術所産をここでは便宜上幾つかの範ちゅうにくくって整理した.このうちA は学会論文誌,海外学会フルペーパー,学会研究会論文,学位論文,著書等いわゆる大論文の範ちゅうで57件22%,B は学会大会発表等の小論文で44件17%,C は解説・商業雑誌記事・再掲論文・講習会講師・社内研究報告書等で60件23%,D はここでの主題である「研究メモ」の類で101件38%であった.研究項目の内容自体は古い時代のテーマなので無視して頂くとして,一つの研究項目当りの平均技術所産は13.6件で,各研究項目それぞれにおいて「研究メモ」D がその後の論文所産C, B, A の基底をなしていたことが伺える.


表1 研究所時代(1956〜75)における研究項目別技術所産


図2にこれら論文資料の年次推移をD,C,B,A 各分類の積算図として示す.研究所時代19年間の年間所産262件の年平均件数は13.8件で,月に平均1.1件は論文をまとめていたことになる.これを見ると,研究メモ制度施行後(1963),研究メモがその後学会等における発表(C, B, A )につながっていった相関が読み取れる.途中,2回の海外滞在期間に技術所産件数は減少しているものの,おおむね20代後半から30代にかけてが一番研究活動のプロダクティブな時代で,最盛期には年29件,月当り2.4件執筆していたことになる.1970年以降は管理業務ウエイトが漸増したため研究所産は漸次減少し,特に事業部異動後(1975)は多忙を極めたため激減している.


図2 研究所時代の技術論文執筆件数の年次推移



(d) 技術論文執筆上のけじめ


物事の推進には「けじめ」が必要だが,執筆に関する私の「けじめ」は以下のとおりである.これらの論文のうち,自著が171件65%,実質的に自著相当の件数を含めると199件76%,純粋共著が残り63件24%であった.自著相当とは共著であるが実質的に自著の分を表す.昔は具体的指導の有無にかかわらず上司の名前を筆頭著者に加える習慣があったが,この慣習は時代の推移とともに合理的に改善されてきたし,私自身はその轍を踏まないことを旨としてきた.

また,一つの論文内容を分割して論文数だけ増やし,結果的に「洛陽の紙価」を低くする事態を好まなかったので,自分としては類似テーマをなるべく一つの論文に凝縮させるよう努力してきた,ただ,国内学会論文誌に出した内容はほとんどIEEE等の海外学会でも発表するよう意識的に努力した.本来厳密なオリジナリティーの観点から問題なしとしないが,英文であることや当時の学会誌の配布範囲を考えればやむを得ざる選択だったと思っている.

研究所といえどももちろん企業人であるから事業への貢献が第1目標でなくてはならない.研究は長期的貢献,事業支援は短期的貢献とでもいえようか.事実,4割くらいの時間はこれら事業支援のための開発設計業務に割いていたように思うが,これらの支援業務に関しては驚くほど自著の技術資料が少ない.その理由は,多分共同作業であったことと,成果は図面や製造仕様書や取扱説明書等で,これらは自著の範ちゅうから除外したためである.一方残りの時間は自主研究で,納期のはっきりしない研究業務を推進する上で,春秋の学会大会の発表機会が素晴らしいマイルストーンを与えてくれた.また学会論文誌への投稿を考えれば,研究を更に学術的・技術的に深める必要があったため,これが研究意欲を発揚する大きなモーティベションとなったことは事実である.これらを思うにつけ,当学会をはじめとする学会の存在意義に深い敬意と感謝を捧げたい.


(e) 研究管理のためのメモ

研究をしながら研究管理も分担するようになってくると,研究管理のやり方についても何かと考えることが多い.これを書き留めてきたのが「研究管理メモ」で,16件をTM番号で登録・蓄積してきた.研究提案,継続教育,特許の有効活用,調査報告,研究設備投資,研究雑感等々多岐にわたり,その蓄積をベースに管理制度の改善にも貢献できた.その後研究所で編集した「研究管理マニュアル」の基礎資料としても役に立った.

話題は変るが,私の「研究管理メモ」の一つに「研究月報制度」に関する提案があり,今でも活用している書式であるので紹介しておく.当時進ちょく管理的な月報・季報制度が上司報告用に設定されていたが,とかく形式的記述に陥りがちで研究の進ちょく実態を表現し得ないことに不満であった.そこで,むしろ研究者の日々の自己管理に主眼を置いた月報制度様式を提案・導入し,これで上司報告も兼ねるようにした.単なる1枚の用紙の左欄に一月分の事項を日誌形式で日々記入し,月末には月間行動記録が一望の下に把握できるので右欄に具体成果や所感等をまとめて記入する.結果として,自己の業務を日々蓄積反省し,研究業務進展のための良いvehicleになったと思っている.事実,私自身はこの書式を昭和43年に実施して以来,汎用性があるため研究所を離れても書式だけは取り寄せ,米国駐在中も事業部在籍中も社長に就任してからも活用してきた.使用開始以来32年間400枚近くの日々の行動記録が整然とファイルされており,何年前の事象でも直ちに探すことができる.


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