電子波で見る電磁界分布 【 ベクトルポテンシャルを感じる電子波 】

外 村 彰

  この結果は,我々の専門である電子顕微鏡分野とは異なった量子力学の分野で反響があった.しかし間もなく反論も出た.この実験は,電子線の一部が磁性体に直接当たっているので,AB効果の検証にはなっていないのではないか.確かに,電子線は磁石を透過している.しかし,それだからこそ孔の中と外との位相差の絶対値が観測できるのである.反論する人達は,入射電子線の波動関数が磁石の表面でゼロになるような境界条件で実験すべきであるという.

 そこで,ドーナツ状の磁石の上に金の膜をかぶせて入射電子線が磁石まで到達できないようにして実験を行ってみたが,このような条件下でもAB効果は検出された.しかし,それでも反対派の人は納得しなかった.電子波(用語)は回折現象によって,サンプルの裏側にも回り込むことがあり得るので,磁石の周囲,表も裏も横も完全に遮へいして,電子の波動関数が磁石の周囲至る所でゼロになるような境界条件にしなければいけないという.

 我々は,それに反論する論文を書くことも考えたが,この実験はマクスウェル以来,百年以上にもわたって続けられてきたベクトルポテンシャルの存在に関するものなので,だれにも疑いを持たれないような実験を行う決意をした.

(a) 走査型電子顕微鏡像
(b) 模式図

図4 アハラノフ・ボーム効果検証のための超伝導体で囲んだ磁性体サンプル

 



図5、さまざまな大きさのサンプル

 たくさんのサンプルを測定したにもかかわらず,結果は2通りしか得られなかった(図6).ドーナツの孔の中と外部を通る電子の波面のずれは, 0か1/2波長のいずれかであると出た.後者の場合が,AB効果の存在を証明してくれた.電子は全く磁界のない所を通っている.にもかかわらず,干渉じまのずれを生じている.これはゲージ場によってずれたに違いない.こうして,AB効果の論争が,この1枚の写真で決着がつき,ゲージ場の理論の基礎が実験的に示された.

 再度挑戦するサンプルは,まず電子線が磁石内部に侵入しないようにする.それだけでなく,磁界が外部に漏れ電子線に触れる可能性をも除くために,ドーナツ状の磁石を超伝導体でくるむことにした.こうすれば,マイスナー効果によって磁界を完全に閉じ込めることができる.しかし,こんなに複雑で,しかも小さいサンプルができ得るのだろうか?――ここで,再び最先端の微細加工技術が活躍した.
 図4が,出来上がったサンプルである.外径6μm,円形のドーナツ状の磁石の周りは,ニオブで完全に囲まれている.コイルならば,流す電流を変化させて磁束を連続的に変化させられるが,磁石の場合そうはいかない.このため,様々な寸法の磁石をたくさん作った.図5を見れば,いろいろな大きさの内径や外径のドーナツのあることが分かる.失敗したものも含めれば,サンプルは全部で10万個も作ったが,こんなことができたのも,まさに微細加工技術のお陰である.そして,このサンプルを冷やし,ニオブを超伝導体状態にしてから,サンプルに電子線を通し,それに斜めから平面波を重ねて,波面のずれの有無を調べた.

 

(a) 位相差=0

(b)位相差=1/2波長

図6、アハラノフ・ボーム効果の実験結果
 これらの写真には,AB効果が存在するということのほかに,磁界が漏れていない証拠が映し出されている.それは,位相差がちょうど1/2波長で量子化されているからである.

 超伝導体で取り囲まれた磁束は,h /2e で量子化される.h /2e の磁束は電子線の波面をちょうど1/2波長だけずらすので,磁石内部にトラップされた磁束が磁束量子の奇数本のときには,干渉じまのずれは干渉じま1/2本分となり,偶数本のときにはずれはなくなる.磁束の量子化は,磁束が完全に超伝導体で取り囲まれたときにしか起らないので,外部に磁界が全く漏れていないことをも保証してくれる.

 こうして,マクスウェルが物理量と考え,1世紀以上にもわたって,数奇な運命をたどってきたベクトルポテンシャルは,再びよみがえることになった.

 かくしてAB効果の存在は,真空中を走る電子を使って実証された.ところが,その後IBMのウェッブによって金属中の電子もAB効果を示すことが見いだされた(4).極めて細いリング状の回路を作り,低温にしてリングの2点間に電流を流すと,リングの片方を通る電子と,もう片方を通る電子が出会ったときに干渉を起すのである.その証拠にリングを貫く磁束を変えると,両側の電流の位相差が変化して,全体の電流が大きくなったり小さくなったりするのである.

 これまで金属中の電子の振舞いで,量子力学を本当に必要とするのはバンド理論だけで,あとは古典物理学で事足りていた時代もあった.ところが,今や人工的に作った微細な回路の中で,電流というマクロな量が干渉を起すまでになった.こうしてメソスコピック物理と呼ばれる分野が登場し,物性領域にも本当の意味の量子力学が登場したといえる.

 更に昨年,カーボンナノチューブでもAB効果が起る証拠が得られたことがNatureに報告された(5).2点間の電流の通り道には,まっすぐに最短距離をたどる道のほかに,チューブを右に左に一回りする道もあるため,これらの電流が干渉し合う.その結果,チューブの中を貫く磁束によって流れる電流が変化する.かくして,AB効果は“量子力学の神髄”を示す重要な現象と見なされるまでになった.




4/6


| TOP | Menu |

(C) Copyright 2000 IEICE.All rights reserved.