(2) 日本人大学生を対象とした日本語・英語リメディアル教材の開発

 近年,日本の大学には,同じ学部であっても基礎学力の多様な学生が混在して入学してくる.高等教育を受ける上での最も基本的な能力は言語力であり,大学生には少なくとも母語力(日本語力)が高校生レベル以上であることが求められている.しかし,筆者が実施した31大学,6,700人以上の大学生の日本語語い力調査から,私立大学生の約7%,短大生の約18%が中学生レベルであることが分かった.そこには,入試の多様化,入学者選抜競争の緩和の影響が顕著に現れていた.そこで,理系大学生を対象に3か月間,10回の授業と宿題で「実験手順を理解し,読みやすいレポートが書ける」ようになるための「文章能力開発演習」を実施し,大きな成果を上げた.この成果を日本人学生のためのネットワーク対応型日本語リメディアル教材の開発につなげたい.

 次に英語教材の開発について述べる.中・高の英語教育がコミュニケーション中心になり,入試科目に英語を取り入れない大学が増大したことにより,大学生の英語力は低下を続けている.「大学の英語の授業」を成立させるため,英語力の低い学生には大学入学後,数か月で少なくとも英検3級(中学卒業程度)レベルの英語の基礎学力を身に付けることが求められている.その対応策として,ネットワーク対応型英語リメディアル教材を開発中である.更に,全国の大学で利用され,目に見える成果を上げるためには,@スタッフ及びコンピュータ上に学習コミュニティを形成した上で,学習者管理が徹底した集中学習コース,Aプレースメントテスト,B大量のレベル別,ジャンル別教材プールの三者を機能的に結んだ学習システムの構築が不可欠であると考えており,順次,開発していく計画である.プログラム終了者の80%(従来は15〜30%程度といわれている)が目標達成を目指した運用,実証実験を平成14年度に実施する.

 (3) ネットワーク対応型適応型プレースメントテストの開発

 日本人大学生が日本語や英語の効果的なリメディアル学習を行うためには,学習者の客観的な基礎学力を的確に把握した上で,学力に応じた学習教材を配信する必要がある.そのために,ネットワークを利用した適応型プレースメントテストの開発を進めている.平成14年度に既存の問題項目等を利用して,40〜50万人の中・高生の全国調査を実施し,その分析結果に基づき適応型テストを開発する.平成15年10月からの運用を目指している.完成後は大学・高校等へはインターネットを介してテストを実施するとともに,結果を配信する.大量のデータ解析の蓄積により,大学生の基礎学力の変化の把握,個別学習効果の予測と効果的な学習教材の配信等を行う.

 (4) 学習コミュニティの構築に関する研究

 教材提供手段としてのWeb-based Trainingシステムを相互補完的に使用されることを目的に,コンピュータを利用した協調学習(CSCL(用語))システムの開発を進めている.例えば,学習者が相互に行っている行為を観察可能であるようにアウェアネス(気付かせる)情報を提供することで協調学習を支援する同期型のCSCLシステムや,議論において役割交代を行うことで建設的で円滑な討論を行えるシステム(2),ネットワーク上の協同学習をコーディネートするメンターの過剰な負担を軽減するシステムなどがある.これらのシステムは,近い将来実用化され,ネットワーク上の学習コミュニティの創発に寄与することが期待される.


■6. 教材の質の向上を目指して


 日本の大学が求めているネットワーク対応教材の制作上の問題点について考える.各大学にネットワーク教材制作の専門家(プロデューサ,映像カメラマン,照明・音響技術者,コンピュータソフトウェア専門家等)を配せず,1〜2日の研修で安易にネットワーク対応教材を教員自身に作らせようとする構想がある.しかし,このような素人が片手間に制作した教材は授業の記録にはなるが,学生に満足を与えることはできず,まして他の大学での利用は期待できない.多くの日本の大学教員は,「教科書は別として他人の作った教材は参考にするが使わない」,という傾向にある.そのような中で,多くの大学が利用したくなる教材を制作するためには,内容はもちろんのこと映像・音質が高品質であることが求められている.

 米国やカナダの大学では良い教材の制作に,FDセンターが重要な支援の役目を果たしており,機器以上に必要なのは制作スタッフであるとの考えが一般的である.ここで,ある国立大学の全学的な取組みを例にとり考える.その大学は市内から郊外に移転し,跡地は社会人教育などのために残し,現在テレビを利用した遠隔教育を実施している.この大学は文部科学省から1億円以上の機器の支援を受け,英語,独語,仏語などの語学教材から試作を始めている.しかし,教材の制作体制の整備には予算は投入されていないのは残念である.この大学のプロジェクトの推進には,意欲と努力は見られるが,サンプルを見た限りでは,ストーリーの展開,カメラアングル,画像内の動作やぶれ,照明と画質,音響効果など,制作上の技術面において,プロの技量に程遠いものがある.また,VTRで取りあえず授業の記録を取っておいて,後から教材開発を行う計画もあるが,このような作成プロセスでは,完成する前に教材の質の問題が予見される.

 筆者は,これらの問題の改善策としてネットワークを利用したマルチメディア教材制作を希望する大学に,メディア教育開発センターが制作スタッフを派遣し,共同で制作する制度の創設を提案している.


■7. 経済的問題が最重要課題



 何か新しいものを発展させる際,現代では経済的側面を無視することはできない.その一例は米国の統一試験実施機関であるETS (Education Testing Service)のちょう落である.ETSが実施する米国の大学入試のための統一テストの一つであるSATが全米の主な大学の入試に採用され,米国への留学生の資格試験としてのTOEFLで確固たる地位を築いたETSは,ばん石のように見えた.しかし,TOEFLのコンピュータ化によって経営が悪化,経営者は交代し,世界的に有能とされるテスト理論学者たちは移動を余儀なくされた.また,2000年1月,ニューヨークのマンハッタンに多くの校舎をかかえるNYUは校舎建設を控え,インターネットを利用したバーチャルユニバーシティとして会社組織のNYUonlineを設立し,華々しく開講した.2年もたたない2001年11月,テンプル大学配信事業(同年6月倒産)に続き,開発費用の投資増大や学生募集の失敗により倒産した.これらの事例は投資に莫大な費用がかかるITの持つ怖さを示しており,教育を事業としてしか見ていない姿の終わりであり,ITの教育利用の際への警鐘ではないだろうか.費用対効果,労力対効果はもちろんであるが教育的配慮を考えない投資の見直しが必要なことは,高等教育分野でも例外ではない(3)


■8. ま  と  め



 以上,日本の大学におけるネットワークを利用した遠隔教育の現状と問題点について述べた.これらの問題点が地道な努力によって一歩づつ改善され,ネットワークを利用した学習が,日本の教育文化の中で高等教育に資する方法で盛んになることを期待したい.



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