同じように,物理的あるいは生物的にも大きな変化が起りました.X線回折で分子の構造が見えるようになったので,DNAの分子構造も分かったわけです.これで,DNAの二重ら旋構造を発見しワトソンとクリックがノーベル賞をもらい,分子生物学がスタートしたというわけです.

 最近はもっと複雑なたん白質の問題がございまして,たん白分子が回転していることまで視覚化されております.地球上に2番目に多いたん白質といわれているATP合成酵素が回転をしているということを聞いただけでもかなり興味深いのですが,更に,実際にビデオで回転運動を見せられると気分が悪くなるくらいのショックを受けるわけであります.

 ですから,人文科学と自然科学は非常に離れているという見方もありますが,映像などのインパクトというのは結構みんな同じでありまして,先ほどのガリレオ以来のコンバージョンが起るのではないかという気がします.

 先ほどのナノワールドに話を戻します.例えば工学部の教育でいいましても,ナノワールドに入る前はすべて古典的な物理学を基礎としているわけですけれども,ナノワールドに入りますと途端に全部量子力学になってしまいます.そうすると従来の基礎になっている力学がシフトします.「モノづくり」における「モノ」というのはメートル,ミリ,ミクロンという全部「M」の世界だったのですが,「ナノ」になりますとこれは「N」の世界になっていくわけで, 私はこれを「ナノづくり」,「ナノ仕込み」といっています.「作る」というのは何かアーティフィシャルに作るという感じがありますが,バイオになってきますと仕込んでおいて醸造みたいに増殖してくるイメージですから,21世紀には「仕込み」という生物的,増殖的なプロセスを考えることになるだろうと思います.


■4. これからのバイオ

 DNAの遺伝情報はゲノムがわかってしまったから,もうおしまいかという議論も聞いたりしますけれども,これは間違いであります.バイオはここから始まるわけでして,ゲノムという情報は一種の青写真ですから,それからたん白質を作るという段階に入っていきます.たん白質の分子量は膨大ですから,分子式などの記号表現では書けないのですが,そのときの武器は明らかにITです.ITを駆使して立体構造を全部グラフィックスにして自由に回転・拡大して見たり操作できるわけです.ですから,「バイオの時代だ」というと,何かただムード的にそういっているという感じを持たれるかもしれませんが,そうではなくて,今進んでいるIT活用型研究手法によって,かなりはっきりと生命のプロセスについて新しい知見が蓄積されてきているのです.

 最近注目を集めているミトコンドリアは細胞の中の発電所といわれておりまして,エネルギーが出てくるところです.べん毛運動などのエネルギーもそうですし,トンボの羽が動くのもトンボの羽の根本にある筋肉細胞にミトコンドリアがびっしり詰まっていてエネルギーを供給しているからです.どういうふうにエネルギーが出てくるかというのも,最近非常に細かく分かってきました.どういう酵素系があって,どういう情報伝達系があって,電子がどういうふうに動いているということまで分かっています.この辺は,かつて顕微鏡でただ見ていた,あるいは全体を統計的に処理していた時代とは全く違いまして,それができていくプロセスが自己組織的で自己集積的であることがわかってきているのが,ケミカルアプローチの最前線でございます.

 次に,負のエントロピーの話です.生命現象は,どんどん組織ができていきますから,物理学の第2法則のエントロピーが増大していくというのと逆でございます.シュレーディンガーが生命の分野を物理学として開拓し始めたときに,負のエントロピーの話をしておりますが,20世紀の終りころになりまして,プリゴジンが不可逆的な時間の問題を取り扱ってノーベル賞をもらっています.いわゆる自己組織化を基礎にした,バイオの世紀らしい情報概念という手掛かりができてくるわけです.

 もう一つは,ディラックの仕事です.この人は御承知のように相対論を量子力学と結合した人でありますが,従来の真空の中の電子の振舞いを陽電子と共存させて説明することで,真空中にもエネルギーがあるということ,しかも「負のエネルギー」というものがあることを彼は発見しています.もっと一般的には反粒子という概念があります.こういう研究が出てきますと,バーチャルとリアルの関係が問題になり,相当基本的な物理の原理についての議論が連想されてきます.

 これは複素数が登場してきたときに似ております.複素数は複素平面上では1点ですが,一つの実態がいろいろ運動することを二つの方向から見ると二つの実体があるふうに見えるのだというように視点が転換するのです.つまり,バーチャルとリアルというのは実数座標軸と虚数座標軸みたいな関係になっているということです.これが場と量子という20世紀の科学者たちをずいぶん悩ました問題なのですが,実は一つの非常に大きな新しい実りつまり関係性(相互作用)の重視をもたらしており,そこを出発点として考えていくのが現在重要な指導概念になってきたわけです.




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