■ 3. 砂粒チップを着想させた要因,実現させた要因

 さて,このような小さなICチップを着想し,実現していった過程についてもう少し詳しく述べてみたい.元々このICチップのネーミングは発明者である筆者が付けたものであるが,それも着想して間もなく付けた名前である.筆者は,15年以上,大型から小型のコンピュータや周辺装置向けの高速論理LSIの回路開発に従事した経験があるが,新技術のネーミングは多方面の人材の参加が必要な無線タグ用のICの分野では特に重要であるとの認識を持っている.覚えやすく,製品のコンセプトがストレートに伝わらなくてはいけない.また,無線タグ用のICはアプリケーション分野が多岐にわたっているため,ネーミングにより特定のアプリケーションのみを連想しないように,比較的中立な意味のネーミングが要求される.ただし,「チップ」という名前が入ったネーミングとしたのは,ICの経歴が長い発明者の思い入れが入っているものである.無線タグ用のICでは様々な技術を必要とするが,「チップ」はまさにその技術の帰すうを占う生命線であるとの思いからである.

 ある課題が与えられたとき,開発すべき製品コンセプトを即座に思いつくには多くの幸運が重なっていることが多い.ミューチップにも同じことがいえて,着想させた要因というのがある.紙とICチップを融合するという技術命題では薄さと信頼性がキーワードではないのかと考えている.薄さについていえば,薄型非接触ICカードの開発に従事して,薄型ICチップの開発に目鼻を立てた経験が大いに役に立ったことである.また,信頼性ではICチップサイズを小さくすべきことは常識では思い立っても一般的には逆に様々な難点が気になり提案し難いものではないだろうか.筆者の場合はそのアレルギーがみじんもなかったのは,シリコンダイオードやICレーザの製造現場を見学していた経験があったためである.これは,ミューチップよりも数年前にさかのぼり,そのときは,薄型で小型ICチップを活用した大規模論理LSIの欠陥救済技術の研究を行っていた.このときの各種要素技術検討の過程で突っこんだ考察がいろいろ役に立ったことである.シリコンダイオードの生産ラインはなかなか迫力のあるラインであって,ミューチップのような小さなICチップをハンドリングして目に止まらない速さで組み立て量産している.今でも,ミューチップの技術のふるさとはシリコンダイオードにありと思っている.

 次にミューチップを実現させた要因について述べる.ミューチップというと,超小型のICチップ技術のみと思われがちであるが,そのほかにアンテナや接続技術,セキュリティ技術などを融合したものである.ただ,その中でもICチップの実現技術はその根幹をなすものであり,その動作成功なくして先はないものである.無線タグ用のICチップの回路は高度な高周波アナログ回路とコンパクトで低電力なディジタル回路を高密度に集積したものである.従来,様々な無線タグ用のICチップが製品化されてきているが,今回目標としたICチップサイズは例がなく,無謀な目標といわれたものである.それでも,このICチップサイズに固執し,一発動作(第1回目の試作で動作成功)をもたらせた要因は何であったのだろうか.一つはこのサイズを実現しないと商品価値がないという明確な動機付けであった.継続した意思を持ち続けるには万人にして納得のいく動機が必要であることは論を待たない.この動機付けが不十分であると,様々な横道へ誘惑されたり,開発チームのチームワークやモラル低下につながる重要な要素であると考える.もう一つは開発手法ではないかと考える.高い目標で短期の開発であればあるほど,多くの問題点が提起されるが,システム的思考はこのような場合にも必要ではないかと考える.無線タグ用のICチップといえども,ICチップがリーダに極めて近づいた状態になると,ICチップ入力部の素子は大振幅動作をする.コンパクト設計が要求され素子間隔を小さくしたいとき,大振幅動作による寄生効果は動作不良につながる最大の難関であった.デバイスシミュレーション,机上検討でどこまでバグが排除できるか,大きなリスクがあった.そこで,ミューチップのような超小型のICチップ開発では小さな設計展開を含め100種以上の回路設計を一挙に行って一枚のフォトマスクにまとめて試作を行う方針をとった.様々な問題発生を考慮,予測して設計したもので,厳しい状態から緩和した状態までの回路が設計された.超小型ICチップサイズである特徴を利用してこれを徹底的に活用した設計手法であると考えている.つまずいても転ばない回路設計といえるかもしれない.

 ミューチップを実現させたブレークスルーともいえる要素技術はいろいろあるが,その一つとして,超薄型のウェーハから超小型のICチップを分離するダイシング技術について御紹介したい.ダイシング技術自体は大変歴史のある技術で,今や成熟している技術の一つである.しかし,超薄型のウェーハから0.4mm角のICチップをダイシングすることは実績がなくそう簡単なことではなかった.ダイシングするブレードの高速回転により薄型ウェーハが共振現象を起し,チッピングという細かい傷が多い切り口状態となってしまう.チッピングはICチップに対する機械的強度を低下させる主要因となる.ミューチップの開発では,ダイシング専業メーカーと密接な協力関係により問題解決に成功している.ダイシングという比較的地味な技術であるが,ミューチップでは大きな支えとなる技術の一つである.



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